祈りの小箱(35)『絶対の基準』


『絶対の基準』
 マザー・テレサのお母さんは、子どもたちが悪いことをしたとき「神様の罰が当たるわよ」とは言わず、「そんなことをすれば、神様が悲しむわよ」と言ったそうです。さすがはマザー・テレサのお母さんと思わざるを得ない、見事な叱り方だと思います。
 子どもを叱るとき、例えば「そんなことをすればあなたの損だ」というように、利害損得で説得するお母さんもいるでしょう。そのお母さんの子どもは、やがて何でも自分にとって損か得かで判断する大人になっていくかもしれません。「いい大学に入らなければ偉くなれない」というようなこの世の価値観に従って、「もっと勉強しなさい」としかるお母さんもいるでしょう。そのお母さんの子どもは、学歴で人を判断する大人になっていくかもしれません。いずれにしても、利害損得やこの世の価値観など、人間の尺度によって物事を判断する大人になっていくのはほとんど間違いがないと思います。
 「神様が悲しむわよ」と言われて育った子どもはどうでしょう。きっと、何をするにしてもまず「これをしたら神様は喜ぶだろうか、それとも悲しむだろうか」と考える大人になるに違いありません。心の中で神様に「あなたはこれを喜びますか、悲しみますか」と尋ねてから行動するようになる子どももいるでしょう。悪いことをすれば神様が悲しむという信仰によって育てられた子どもたちは、何事も神様との関係で判断するうになるのです。
 地上の利害損得や価値観などは、所詮、相対的な基準にすぎません。ですが、神様を喜ばせるか悲しませるかというのは、絶対的な基準です。人間との横の関係による判断ではなく、神様との縦の関係による判断をするようになると言ってもいいでしょう。キリスト教徒が従うべき唯一の基準とも言うべきこの基準に従って判断している限り、わたしたちはブレのない、まっすぐな判断を貫き通すことができるはずです。マザー・テレサのお母さんの言葉を肝に銘じて、どんなときも「これは神様を悲しませるだろうか、それとも喜ばせるだろうか」と考えてから行動する習慣を身に着けたいと思います。
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