【フランシスコ教皇の言葉】


フランシスコ教皇の言葉
■説教やメッセージから■
6月28日(木)朝のミサ
「神には神の時があります。耐えなければならないのは、私たちだけではありません。神も、私たちとの交わりの中で忍耐しているのです。神は私たちを待っているのです。人生の終わりまで、神は私たちを待っておられます。」
6月29日(土)聖ペトロとパウロの祭日ミサ
「自分自身の考えや感覚、力の論理に身を委ねるたびに、信仰によって教えられ、導かれるのを拒むたびに、私たちは躓きの石になってしまいます。キリストへの信頼こそが、キリスト教徒の、そして司牧者の生活を照らす光です。」
「教会にあっては、様々に違ったものが、どんなときでも調和という土台の上に置かれています。それはまるで、神の偉大なる一つの計画の部分として、小さな一片一片がつなぎ合わされるモザイクのようです。違いの中で結ばれていること。それが、イエスの道です。」
6月30日(日)アンジェラス
「良心に耳を傾けるとは、自我に従うべきだということでも、自分の利益になることやためになること、喜ばしいことをすべきだということでもありません。良心とは、真理に、善に、神の声に耳を傾けるための内的な空間です。神との交わるための、内的な空間なのです。」
7月2日(火)朝のミサ
「罪に直面したなら、ノスタルジーを捨ててすぐに逃げなければなりません。『この罪の世にあって何ができるのだろう』、『罪とはどのようなものだろう』、そんなことを考えてはいけません。好奇心は危険です。急いで逃げ去り、振り返ってはいけません。私たちは弱いのです。身を守らなければなりません。」
教皇様のツイート■
6月28日(金)
「イエスは、私たちを思いだけで救ったのではありません。イエスは、身を低くして人間になりました。御言葉の思いが肉と成ったのです。」
6月29日(土)
「まるで贈り物か捧げ物をするかのように、キリストのために自分の命を失うことを学びましょう。キリストが一緒にいて下さるなら、失うものは何もありません。」
6月30日(日)
キリスト教徒が退屈していたり、悲しそうだったりすることはありえません。キリストを愛する人は、喜びに満たされ、喜びを輝かせているものです。」
7月2日(火)
「キリストという岩を離れては、キリスト教徒として生きることができません。キリストは私たちに力と落ちつきを与えるだけでなく、喜びと穏やかさも与えて下さいます。」
※写真…赤目四十八滝にて。