バイブル・エッセイ(358)何を求めるべきなのか?


何を求めるべきなのか?
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。」(ルカ11:9-13)
 どんな悪人でも、子どもには必ずよいものを与える。どんなに恩知らずな人間でも、しつこく願い続ければ必ず与えてくれる。まして、神様は子どもであるわたしたちが求め続けるときに、よいものを与えて下さらないはずがあるだろうか。だから、求め続けなさい。それが、今日の福音のメッセージだと思います。
 いまちょうど、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで「世界青年の日」(WYD)の大会が行われています。全世界から百万人以上の若者が集まり、日本からもたくさんの若者が参加しているようです。なぜ彼らは、あらゆる困難を乗り越えて地球の裏側まで旅をするのでしょうか。それは、彼らが求めているからだと思います。わたしはWYDに参加したことがありませんが、若いころインドまで旅をしたことがあるので彼らの気持ちが分かるような気がします。
 若者にとって一番大きな悩み、それはこれからの人生をどうやって生きてゆくかということでしょう。神様のため、人々のために自分の人生を捧げたいという漠然とした希望は持っていても、具体的に何をしたらいいかが分からない。求めたいけれども、何を求めていいかが分からない。それが若者たちの悩みなのです。
 行く先の分からない暗闇の中で、若者たちは行く手を示す光を求めて旅立ちます。旅を通して、自分が生きるべき人生、本当の自分の人生を見つけられるかもしれない。ただ、そう願って若者たちは旅立つのです。確かに、旅を通して多くの若者たちが自分の人生を見つけます。WYDの旅を通して自分の召命に気づき、司祭や修道者になったという若者もたくさんいます。旅をきっかけとして、看護や福祉、教員などへの道を選んだり、結婚を選んだりする若者もいるでしょう。彼らは、旅を通して本当の自分に出会い、本当の人生を歩み始めたのです。もちろん、旅をしても何も見つけられなかったという若者もたくさんいます。しかし、彼らにとっても旅は決して無駄ではないでしょう。神様は、その旅も含めた長い道のりを通してその人を救いへと導いておられるのだと思います。一度の旅で見つけられなくてもあきらめる必要はありません。神様には、神様の御計画があるのです。
 旅を通して本当の人生を見つけられるかどうか、その鍵は、旅の中での出会いにあると思います。教皇様との出会い、世界中から集まった仲間たちとの出会い、現地の人々との出会いなどを通してキリストと出会った人は、その出会いを通して本当の自分と出会い、本当の人生を見つけ出すのです。わたしたちの本当の人生を知っておられる方は、わたしたちの心の隅々までを見通し、全世界の状況を完全に把握しておられる神様以外にはおられません。わたしたちは、キリストと出会うときにだけ、キリストの口を通して神の御計画を知ることができるのです。今日の福音の最後が「天の父は求める者に聖霊を与えて下さる」という、ちょっと意外な言葉で終わっているのは、この意味でまさにふさわしいと思います。キリストの霊がわたしたちの心に来てくださるときにだけ、祈りの中でキリストと出会うときにだけ、わたしたちは本当の人生を見つけることができるのです。キリストの霊に満たされた心だけが、何を求めいいかを知り、本当に求めるべきものを求めることができるのです。
 何を求めていいか分からないのは、若者だけに限らないでしょう。キリストの招きにこたえて人生の道を歩き始めたわたしたちも、人生のそれぞれの段階で何を求めていいかわからなくなってしまうことがあるからです。そんなとき、手当たりしだいに何かを求めても、正しい道に戻ることはできません。キリストと出会うときにだけ、わたしたちは本当の人生に立ち戻り、本当に求めるべきものを求めることができるのです。
 WYDに集まった若者たちが、たくさんの出会いを通してキリストと出会い、本当の人生に出会うことができますように。また、わたしたち自身にも、日々の生活の旅を通してキリストとの出会いが与えられ、本当の人生が示されますように。
※写真…カルカッタ、マザー・ハウスからボランティアに出かけてゆくシスターと若者たち。