【フランシスコ教皇の言葉】


フランシスコ教皇の言葉
■説教・メッセージから■
9月1日(日)アンジェラス
「私たちは平和な世界を望みます。私たちは平和の人になりたいのです。対立と紛争によって引き裂かれたわたしたちの世界に、平和を芽吹かせたいのです。戦争を繰り返してはなりません。決して、戦争を繰り返してはなりません。平和は、守り育てられるべき大切な贈物です。」
「世界には私をひどく苦しませ、悩ませる争いがたくさんありますが、近ごろ私の心は、特にシリアで起こっていることによって深く傷つけられ、現実になろうとしている劇的な展開によって苦しめられています。」

「私は平和を強く訴えます。この訴えは、私の心の奥深くから湧き上がってくるものです。武力の行使は、あの国に、特に市民や非武装の人々の間に、どれほどの苦しみ、どれほどの破壊、どれほどの痛みをもたらしたことでしょう。私は、未来の光を見ることがないかもしれないたくさんの子どもたちのことを思います。」
化学兵器の使用を、私は断固として非難します。この数日に見た恐ろしい映像が、わたしの心の奥深くにまで焼き付いています。私たちが取る行動には、神と歴史の裁きが下るでしょう。暴力が、そのあとに平和を残したことはありません。戦争は戦争を生み、暴力は暴力を生みます。」
「この紛争の当事者それぞれに、私は力の限りに訴えます。どうか良心の声に耳を傾けて下さい。自分の利益だけに目を奪われるのではなく、互いを兄弟として見て下さい。そして、断固として、勇気を持って出会いと交渉の道を選び、先の見えない争いを克服してください。」
「すべての善意の人は、平和を追い求める義務を負っています。私は全カトリック教会に、他の信条を持つすべてのキリスト教徒に、そしてすべての宗教を信じる人々、また宗教を信じていない人々に力強く、緊急に呼びかけます。平和は、あらゆる隔ての壁を乗り越える善です。それは、全人類に共通の善なのです。」
「私たちのうちに、そして人々のあいだに調和を作り出すのは、対立の文化でも争いの文化でもなく、出会いの文化であり、対話の文化です。それだけが、平和への唯一の道です。」
9月6日(金)朝のミサ
「教会の花婿であるイエスは、婚宴の喜び、キリスト教徒であることの喜びを私たちに求めています。同時にイエスは、私たちのすべても求めておられます。完全にイエスのものになることです。もしイエスに捧げられないものがあるなら、悔いて赦しを願いましょう。」
9月7日(日)シリア、中近東、そして全世界の平和のために捧げる断食と祈りの日の説教

「神はこの世界を見て『よし』とされました。私たちの世界は、神の御心の中で『調和と平和の家』なのです。誰もが自分のいるべき場所を見つけ、『自分の家にいる』と感じられる空間なのです。」
「他の人は、愛すべき兄弟姉妹なのです。愛、忠実、善である神と私たちの関係は、すべての人間関係のあるべき姿を映し出し、すべての被造物に調和をもたらします。神が創造された世界は、すべての人が他者のために、他者の幸せのために責任を感じる世界なのです。」
「これが私たちの望む世界なのでしょうか?心に思い描く世界なのでしょうか?私たちが本当に望む、自分自身の中に、隣人との関係に、家庭に、街中に、国々のあいだに調和と平和が実現した世界なのでしょうか?真の自由とは、愛に導かれ、すべての人を幸せに導く道を選ぶことではないのでしょうか?」
「人間が自分のこと、自分の利益のことだけを考え、自分を世界の中心に置くとき、支配や力という偶像の虜であることに甘んじるとき、自分を神の位置に置くとき、すべての関係は破壊され、すべてがだめになります。そして、暴力や無関心、紛争の扉が開かれるのです。」
「あらゆる暴力と戦争において、私たちはカインを蘇らせています。今日においてさえ、私たちは兄弟喧嘩の歴史を続け、今日においてさえ兄弟に手を振り上げているのです。今日においてさえ、私たちは偶像や利己心によって支配されているのです。」
「私たちは武器を完成させ、良心を眠らせました。私たちは、自分を正当化する理由を磨き上げたのです。私たちは、まるで当たり前のことであるかのように破壊、痛み、死をまき散らしています。暴力と戦争がもたらすのは死だけです。それらは死を語ります。暴力と戦争は、死の言葉なのです。」
「進む方向を変えることができるのでしょうか。悲しみと死のスパイラルから抜け出すことができるのでしょうか。再び平和の中を歩き、生きることができるのでしょうか。私は『できる。誰にでもそれができる』とこたえます。一瞬でもいいから、十字架を見上げて下さい。そこに神のこたえがあります。」
「暴力は、暴力によって応じられてはなりません。死は、死の言葉によって応じられてはなりません。十字架の沈黙の中で、武器の唸りは止み、和解、ゆるし、対話、そして平和の言葉が語られます。」
「すべての人が自分の良心の深みを見つめ、そこから響く声に耳を傾けますように。私たちの心を頑なにする利己心を捨て去り、私たちの心を他者に対して鈍感にする無関心を克服し、自己正当化を止め、対話と和解に向かって心を開きましょう。」
「ゆるし、対話、和解、これらこそが平和の言葉です。和解と平和のために祈りましょう。和解と平和のために働きましょう。世界中のあらゆる場所で、和解と平和の人になりましょう。」
9月8日(日)アンジェラス
「イエスに従うとは、勝利のパレードに参加することではありません。主の慈しみ深い愛を分かち合い、すべての人のための偉大なる慈しみの使命に参加するということです。イエスの使命は、まさに慈しみ、ゆるし、そして愛の使命です。イエスは慈しみ深いのです。十字架を通して、普遍的なゆるしと慈しみがやって来ます。」
「戦わなければならない、もっと深い戦いがあります。それは、悪とその誘惑を拒絶して善を選び取ろうと、力強く勇敢に決意することです。それこそがキリストに従うということであり、自分の十字架を取るということです。それは、深い次元での悪との戦いなのです。」
教皇様のツイート■
9月4日(水)
「私は、化学兵器の使用を断固として非難します。」
9月5日(木)
「平和を求めて叫ぶ声を、全世界に響かせましょう!」
「争っているそれぞれの側の人々に、自分たちの利害の中だけに閉じこもらないようにと、私は力の限り呼びかけます。」
「ロー・コストなキリスト教などというものは存在しません。イエスに従うとは、大きな流れに逆らって泳ぐということであり、悪と利己心を捨て去るということなのです。」
9月6日(金)
「平和は、あらゆる隔ての壁を乗り越える善です。それは、全人類に共通の善なのです。」
「若者の皆さん、私と一緒に、世界の平和のために祈って下さい。」
9月7日(土)
「すべての善意の人は、平和を追い求める義務を負っています。」
「平和のために祈りましょう!」
※写真…1枚目…シリア、アレッポの街並み。2枚目…シリア砂漠の村で出会ったベドウィンの少女。3枚目…ジェラシュ遺跡にて。