バイブル・エッセイ(366)愛の奇跡〜フランシスコ「グッビオの狼」から


愛の奇跡〜フランシスコ「グッビオの狼」から
 使徒たちが、「わたしどもの信仰を増してください」と言ったとき、主は言われた。「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば、この桑の木に、『抜け出して海に根を下ろせ』と言っても、言うことを聞くであろう。」(ルカ17:5-6)
 「信仰を増してください」という使徒たちに、イエスは「もしあなたがたにからし種一粒ほどの信仰があれば」と答えます。信仰において大切なのは、多い、少ないということではなく、たとえ「からし種一粒」ほどであっても真実の信仰を持つことだと言いたいのでしょう。真実の信仰さえあれば、桑の木を海に移すことさえできる、つまり相手の本性をすっかり変えてしまうことさえできると、イエスは言います。
 昨日はアッシジのフランシスコの記念日でしたが、フランシスコの伝記『小さき花』の中に、「グッビオの狼」という話があります。イタリアの田舎町、グッビオの近郊に現われて住民たちを次々と襲った人食い狼の話しです。あるときグッビオを訪れたフランシスコは、村人が狼のことで困っていると聞き、何とかしようと思って狼のもとに出かけてゆきます。狼は大きな口を開けてフランシスコに襲いかかろうとしますが、フランシスコはひるむことなく立ち向かい「兄弟である狼よ、誰も傷つけてはいけない」と命じました。すると不思議なことに狼はおとなしくなり、フランシスコに従ったというのです。フランシスコはおとなしくなった狼に、「お前が人々を襲ったのは、お腹が空いていたからだということはわかっているよ」と優しく声をかけたといいます。フランシスコは狼を町へ連れてゆき、町の人々とも和解させました。こうして、町に平和が取り戻されたのです。
 これは、まさに真実の信仰が引き起こした奇跡だと思います。フランシスコは、人食い狼に対してさえ「兄弟」と呼びかけ、狼の中に残っている良心を信じて自分の命を狼の前に投げ出しました。神はこのような狼でもあわれみ、回心させてくださるに違いないという確信が、その信頼を支えていたことは間違いありません。このフランシスコの信頼に満ちた愛、神を信じ、相手を信じて自分の命さえも差し出すほどの愛が奇跡を起こしました。真実の信仰は愛を生み、愛は奇跡を引き起こすのです。
 昨日、アッシジで行われたミサの中で、フランシスコ教皇は次のようにおっしゃいました。
 「聖フランシスコの平和は、すべてを越える愛から生まれた平和、十字架から生まれた平和です。」
 フランシスコというと誰もが平和を思い起こすけれど、それは甘い詩的な理想でも、抽象的な概念でもない。フランシスコの平和は、十字架から、すなわち、神を信じて人々のために自分の命を捨てるほどの愛から生まれる平和だというのです。確かに、グッビオでフランシスコは、神を信じ、狼を信じて自分の命を投げ出すことで狼と町の人々の間に平和を実現しました。フランシスコの平和とは、神を信じ、相手を信じて自分の命さえも差し出す愛だけが実現できる平和なのです。
 「グッビオの狼」のようなことは、わたしたちの身の回りでもよくあります。例えば、自暴自棄になって周りの人々に当たり散らしているような人がいたとしましょう。その人は、「グッビオの狼」に似ています。愛に飢え、誰かから真剣にかまってほしくて当たり散らしているのです。もし誰かが、神を信じ、その人を信じて近づくなら、自分の命さえ惜しまないほどの愛を差し出すことができるなら、きっとその人は回心するに違いありません。神を信じ、相手を信じて自分をすっかり差し出すほどの愛は、必ず奇跡を引き起こすのです。そのような愛だけが、この地上に平和を実現するのです。
 真実の信仰は、桑の木を海に移すことも、人食い狼を回心させることも可能にします。たくさんの信仰ではなく、たとえ「からし種一粒」ほどでも、真実の信仰を持つことができるようにと神に願いましょう。アッシジのフランシスコの模範にならって、わたしたちも信仰によって愛を実践し、愛によって平和を実現する人になっていけるよう願いましょう。
※写真…カルチェリの庵に向かう山道から見たアッシジの街。1996年撮影。