【フランシスコ教皇の言葉】


フランシスコ教皇の言葉
■説教・メッセージから■
10月4日(金)アッシジでのミサ
「イエスとの出会いは、聖フランシスコに、気楽で安定した生活という服を脱がせました。『貧しさという婦人』を娶り、天の父の本当の息子として生きるためです。聖フランシスコのこの決断は、キリストに倣うための劇的なやり方でした。彼は、新しい服、キリストを身に着けたのです。」
「サン・ダミアノの十字架は、敗北や失敗ではなく、むしろ生命である死、命を与える死を語っています。なぜなら、それは受肉した神の愛、決して死ぬことがなく、悪や死に打ち勝つ愛を語っているからです。」
「十字架につけられたイエスが私たちを見つめるとき、私たちは新たに創造されます。私たちは『新たな創造』になるのです。私たちを変える恵みの体験、何のとりえもない罪びとであるにもかかわらず愛された体験。他のすべてはそこから始まります。」
「多くの人が、聖フランシスコというと平和を考えます。しかし、さらに深く考える人はほとんどいません。聖フランシスコが受け、体験し、生きた平和、私たちに手渡した平和とはなんでしょう。それは、すべてを越える愛から生まれた平和、十字架から生まれた平和なのです。」
聖フランシスコの平和は、サッカリンのように甘い物ではありません。全宇宙の力との、汎神論的な調和のようなものでもありません。聖フランシスコの平和は、キリストの平和であり、『自分のくびきを負った』人、すなわち『私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい』というキリストの命令に従う人だけが見つけるものです。このくびきは、傲慢や偏見、プライドによってではなく、柔和さと謙遜さによって担われるものです。」
「神はこの世界を、調和と平和に満ちた世界となるよう創造されました。聖フランシスコは調和と平和の人でした。この平和の町アッシジから、私は再び力の限りに訴えます。創造の業に敬意を払いましょう。破壊の道具になってはいけません。一人ひとりを大切にしましょう。大地を血で覆う紛争が終結し、武器が置かれ、愛が憎しみに、赦しが暴力に、一致が混乱にとって代わりますように。」
10月7日(月)朝のミサ
「私は自分自身に、そして皆さんに尋ねます。私たちは、神の手に自分の人生を委ねているでしょうか。それとも、自分で自分の人生を描きたいのでしょうか。神の言葉に従順でありましょう。神の声を聞き、その声に耳を傾ける力を持ちましょう。」
10月8日(火)朝のミサ
「人生で一番大切な仕事は祈りだと、主は仰せになります。しかし、それはオウムのように言葉を唱える祈りではありません。主をしっかり見つめ、主の声に耳を傾け、主に願い求める祈り、心でする祈りのことです。」
「祈るとは、主のために心のドアを開くということです。開けば、主はやって来て何かをすることができます。しかし、もし心のドアを閉じるなら、主でさえ何もすることができません。」
教皇様のツイート■
10月5日(土)
「親愛なる若者たちよ、皆さんは将来にたくさんの計画を立て、夢を抱いていることでしょう。でも、皆さんの計画や夢の真ん中にキリストはいますか?」
10月7日(月)
「慈しみこそ、人類と世界を、罪と悪から救うことができる真の力です。」
10月8日(火)
キリスト教的な生き方の秘訣は愛です。愛だけが、悪によって作り出された隙間を埋めることができます。」