【フランシスコ教皇の言葉】


フランシスコ教皇の言葉
■説教・メッセージから■
10月25日(金)朝のミサ
「自分が罪人であることを自覚しないなら、神からゆるしを与えられることも決してありません。口先だけで『自分は罪人だ』と言っているなら、ゆるされる必要を感じないでしょう。自分が本当に罪の奴隷だと感じるとき、私たちは主による解放を願うのです。」
「子どもたちは賢明です。自分たちの罪を具体的に告白するからです。私たちは自分の罪を隠そうとする傾向があります。神の前で罪を告白するとき、私たちは恥じらいの恵みを頂きます。神の前で恥じらうことは、一つの恵みなのです。」
10月25日(金)教皇庁家庭評議会総会メッセージ
「結婚生活の中で、私たちは神の摂理に信頼し、計算も出し惜しみもなくすべてを分かち合います。子どもたちにとって、これこそが親や祖父母から学ぶことです。それは神への信頼と相互への信頼の体験なのです。」
10月27日(日)家族のためのミサ
「皆さんは、家族と一緒に祈っていますか?テーブルを囲んで『主の祈り』を唱えることなら、誰でもできるでしょう。家族として、ロザリオを一緒に唱えるのはすばらしいことであり、力を生み出します。互いに祈り合うことです。」
「私たちは信仰を自分たちの間だけのもの、家族の宝のようにしていないでしょうか。生き方や、人々を受け入れる態度、開かれた姿勢によって分かち合っているでしょうか。キリスト教徒の家族は、日々の生活において、すべての行動において宣教する家族なのです。」
「真の喜びは、人と人との深い調和から生まれてくるものです。誰もが心の中で感じ、共にいること、人生の旅路で助け合うことの素晴らしさを体験させてくれるような調和です。家族の中におられる神とその愛が、この深い喜びの土台となります。」
10月28日(月)朝のミサ
「私たちはよく互いに『私のために祈って下さい。私には祈りが必要です。たくさんの問題があるのです』と言い合います。それはよいことです。なぜなら、わたしたちは兄弟姉妹であり、互いに祈り合うべきだからです。」
教皇様のツイート■
10月24日(木)
キリスト教徒であるとは、自分を捨て、十字架をとり、イエスと共にそれを担うということです。他の方法などありません。」
10月25日(金)
「『使い捨ての文化』は、食べ物の無駄に始まって、誰にも相手にしてもらえない孤独なお年寄りに至るまで、たくさんの苦い果実を生み出します。」
10月26日(土)
「私たちは、グローバルな無関心に加担してしまいがちです。逆に、グローバルな連帯を生きるために努力できますように。」
10月27日(日)
「親愛なるフォロワーの皆さん、今やフォロワーの数が1000万人を越えたそうです。皆さんに心から感謝します。どうぞ引き続き私のために祈って下さい。」
10月28日(月)
「私たちは誰もが罪人です。しかし、神はあふれるほどの恵みと慈しみ、優しさで私たちを癒してくださいます。」
10月29日(火)
「お金や物が私たちの人生の中心になるならば、それらは私たちを捕まえて奴隷にしてしまうでしょう。」