祈りの小箱(74)『認めがたい事実』


『認めがたい事実』
 この話を聞くと、最初ほとんどの人が笑います。ですが、よく考えると、ちっとも笑いごとではないのです。ここでは、分かりやすく写真を例にしていますが、同じようなことは子どもから自分の欠点を指摘されたときや、上司から叱責されたときなど、あらゆる場合に起こりうるからです。
 写真を見て怒り出した人は、きっと自分の中で、実際よりも5キロくらい痩せたスリムな自分をイメージしていたのでしょう。そして、それこそが自分の本当の姿だと信じて疑っていなかったのです。そのため、自分が思い込んでいる「本当の姿」と違うありのままの自分の現実を突き付けられたときに怒り出したのです。それどころか、それを指摘した相手の方が間違っているのだとさえ主張し始めました。これは滑稽なことですが、同じようなことは、もっと深刻な現実をつきつけられたときにも起こるのです。たとえば、子どもから自分の欠点をするどく指摘されたとき、それが認めがたいような事実であれば多くの親は怒り出すでしょう。そして、「あなたに何が分かるの」などと言って、事実を指摘した子どもを悪者にしようとさえするのです。上司から落ち度を指摘されたような場合も同じです。自信を持ってやった仕事を否定されたような場合、たとえそれが事実であっても、わたしたちは怒り出し、「あの上司は何も分かっていない」などと言い出しがちなのです。つまり、「人間は、認めがたい事実を突きつけられると怒りだし、相手のせいにするのです」。
 このことを覚えておくと、対人関係の様々な場面で役立つでしょう。相手にとって認めがたいような事実を指摘するときは、「突きつける」ようにしてはいけないのです。そんなことをすれば結果は明らか。相手は怒り出し、指摘したわたしたちに腹を立てるでしょう。そのような事実を指摘したいなら、相手への愛情と思いやりで何重にも包み込んだ優しい表現にしなければ、まったく意味がないのです。また、このことは自分自身を知るためにも役立ちます。自分自身が何かを言われて無性に腹が立った、言った相手の人格を否定したい気持ちにさえなった、そんなときには、相手が「認めがたい自分のありのままの姿を指摘したのではないか」と疑ってみたらいいと思います。抑えがたいほどの怒りや、相手の悪口を言わずにいられない衝動の影には、多くの場合、自己正当化の欲望が隠れているのです。相手を否定すれば何も生まれませんが、謙遜な心で事実として受け入れられれば、そこで成長が生まれます。神の前で、謙遜な心で成長していくことができるかどうかのカギが、この写真のたとえ話の中に隠されているようです。
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