祈りの小箱(86)『傷が痛み続ける限り』


『傷が痛み続ける限り』
 神学生の頃、ある犯罪の被害者のご遺族から話をうかがったことがあります。その方は、まだ働き始めたばかりの若い息子を、無謀運転のトラックにひき殺されたお母さんでした。加害者は数年で刑を終えて出所し、今もその方が住んでいる同じ町で働いているとのこと。加害者の元気な姿を見、死んだ息子のことを思い出すたびに激しい憎しみに駆られ、とてもではないけれども加害者をゆるすことはできないとおっしゃっていました。
 わたしが神学生だと分かると、そのお母さんは厳しい表情で次のようにおっしゃいました。
「正直言って、宗教の人はもう見るのもいやなんです。『ゆるせ、ゆるせ、ゆるさなければあなたの人生がダメになる』と言って脅かし、わたしの気持ちをちっともわかってくれないから。」
 事件からしばらくすると、さまざまな宗教を「やっている」人たちがそのお母さんのもとを訪れ、「ゆるし」の必要性を得々と語ったのだそうです。話を聞いて最初は自分が悪いのかとも思ったけれど、しだいに腹が立って、もう宗教の人の顔を見るだけで怒りが込み上げてくるようになったとのこと。そう言われて、わたしは返す言葉がありませんでした。
 これは、宗教家が陥りがちな過ちだと思います。ゆるさないなら、憎しみがその人の心を焼き尽くし、滅ぼしてしまう。それは確かにその通りだろうと思います。ですが、心の中に激しい痛みがある限り、その人は憎しみによってその痛みを外に吐き出さずにはいられないのです。その人の痛みを想像しようともせず、ただ教義通りにゆるしを強要する宗教家に対して、そのお母さんが腹を立てたのは当然といわざるを得ません。
 そのお母さんだって、好きでいつまでも憎しみにしがみついているわけではないのです。むしろ、憎しみから解放されたいと願いながら、激しい心の痛みと闘っているのです。わたしたちにできることがあるとすれば、お母さんが心に負った深い傷が一日も早く癒されるようにと祈ること、そして忠告がましいことは何もいわずに、そっとその痛みに寄り添うことだろうと思います。
 これは、わたしたち自身の心の傷についても言えることでしょう。「ゆるさなければならないのにゆるせない」と言って自分を責める必要はありません。ただ、自分の心の傷を神の前に差出し、心のたけを神に打ち明けて、癒しを願えばいいのです。やがていつの日か心が癒されれば、憎しみも消え、相手を自然にゆるすことができるでしょう。傷ついた人々の心が、そして、傷ついた私たち自身の心が、神の慈しみによって一日も早く癒されますように。
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