祈りの小箱(122)『なぜわたしにこんな試練が』


『なぜわたしにこんな試練が』
 大きな困難に直面したとき、わたしたちはつい「なぜわたしだけがこんな目に」とわが身を嘆いたり、そのような状況を作り出した周りの人たちを責めたりしてしまいがちです。困難の重さに耐えかねて、自分を憐れんだり、周りの人たちに責任を転嫁したりしようとするのです。そして、なんとか自分の力で困難な状況を打開しようとして「ああでもない、こうでもない」と考えたり、人と相談したりすることに時間と力を使うのです。
 これは、とても自然な心の動きだと思いますが、言ってみれば「水平方向」の心の動きに過ぎません。地上のことがらだけに目を向け、人間の視点だけに立って考えているからです。そこには、神様に向かっていく「垂直方向」の心の動きがまったくないのです。「水平方向」の考えは、実はとても不完全です。自分の周りをどんなによく見ても、人間の視野には大きなバイアスがかかっているので、見落としてしまうことが多いのです。人間の目には、自分に都合のいいことばかりを見て、都合の悪いことは見ない傾向があるのです。それに、「水平方向」の考えでは、常に人間だけが主人公です。ですが、人間の力だけで困難な状況を乗り越えていこうとしていては、いらだちや絶望に陥らざるを得ないでしょう。人間の力で出来ることはとても限られているからです。
 大切なのは、目を「垂直方向」に向けかえ、神様に向かって「なぜわたしにこんな試練が与えられたのでしょう」と問いかけることだと思います。心の底から発せられた神様への問いは、深い祈りの始まりです。神様と対話するうちに、これまで直視することを避けていた自分自身の弱さや醜さが浮かび上がり、神様を責めるどころか自分自身の過ちをわびなければならなくなることもあるでしょう。あるいはまた、乗り越えがたい困難と思われたことが、実は間違った方向に進んでいこうとする自分を止めるために神様から与えられたブレーキだったと気づき、感謝せずにいられなくなることだってあるかもしれません。自分の絶対に乗り越えられないと思えた試練も、神様に信頼して一歩一歩進んでいるうちにいつの間にか乗り越えていた。そんなこだってありえます。
 心が「水平方向」に向かい、自分を憐れんだり、人を責めたりし始めたとき。自分の力だけで何とか状況を変えようと無駄な考えを始めそうになったとき、心を「垂直方向」に向け変えるようにしたいと思います。あらゆる困難を乗り越えていく知恵と力は、神様からだけやって来るものだからです。
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