『「ありがとう」と言える幸せ』
お金や地位、名誉などをどれほど手に入れても、それだけでは幸せになれないと実感させられることがときどきあります。世間的に見れば何不自由ない、それどころかうらやましがられるほどの生活をしている人が、さまざまなことへの不平不満を言って不幸せそうにしているのを目にするときです。発展途上国のスラム街などを訪ね、そこで暮らしている人たちが、何でもない普通の生活を神様に感謝しながら幸せそうにしているのを目にすると、人間の幸せはものだけは決まらないということをますます強く実感します。結局のところ、わたしたちが幸せになれるかどうかは、どれだけのものを与えられるかではなく、与えられたものに感謝できるかどうかにかかっているようです。
幸せそうに見える人は、意外と感謝の心、「ありがとう」の心を失ってしまっていることが多いような気がします。たくさんのものを与えられているうちに、それが当たり前だと思うようになってしまうからなのかもしれません。何を与えられても、「そんなの当たり前だ。わたしにはそうしてもらう価値がある」と思ってしまうのです。逆に、あまり与えられずに生まれ育った人には、わずかなことでも感謝できる人が多いようです。どんなものでも、当たり前に手に入るものなどないとよく知っているからでしょう。わずかなものしか与えられなくても「こんなわたしに、こんなに与えて下さるなんて」と思うことができるのです。自分の身のほどを知って、与えられたものに感謝する心、神様に感謝する心を持った人、自然に「ありがとう」が言える心を持った人こそ、本当の意味で幸せな人なのかもしれません。
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