バイブル・エッセイ(399)マリア祭説教『「ありがとう」は魔法の言葉』


『「ありがとう」は魔法の言葉』〜幼稚園のマリア祭にて
「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。身分の低い、この主のはしためにも目を留めてくださったからです。今から後、いつの世の人もわたしを幸いな者と言うでしょう、力ある方が、わたしに偉大なことをなさいましたから。その御名は尊く、その憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。主はその腕で力を振るい、思い上がる者を打ち散らし、権力ある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし、富める者を空腹のまま追い返されます。その僕イスラエルを受け入れて、憐れみをお忘れになりません、わたしたちの先祖におっしゃったとおり、アブラハムとその子孫に対してとこしえに。」(ルカ1:47-55)
  マリア様は、わたしたちの救い主、イエス様のお母さんだということは知っていますね。なにしろともかく、マリア様は子どもを生んだお母さんだったのです。自分に子どもができたとわかったとき、マリア様はなんと言ったと思いますか?「やったー」?それとも「困ったわ」?マリア様がまっ先に言ったのは、「神さま、ありがとう」でした。こんなに貧しくて、なんのとりえもないわたしに、こんなにすばらしい子どもを産ませてくれて「神さま、本当にありがとう」とマリア様はそう言ったのです。みんなのお母さんたちも、きっとこのマリア様の気持ちが分かるでしょう。
 みんなを生んでくれたお母さんが「ありがとう」なら、生んでもらったみなさんは、もっともっと「ありがとう」でしょう。お母さんがきみたちを10ヶ月ものあいだお腹の中で育ててくれたから、自分で食べることも、トイレに行くことも、お風呂に入ることも、なーんにもできない赤ちゃんの君たちを大切に、大切に育ててくれたからみなさんはいまここにいるのです。だから、皆さんもお母さんに、そしてこんなにすばらしいお母さんを与えてくれた神さまに、心から「ありがとう」と言いましょう。
 「ありがとう」はとても不思議な言葉です。「そんなの当たり前だ」と言うとつまらない気持ちになりますが、「ありがとう」と言うと心がうれしくなってくるのです。「何にもできないわたしに、こんなに優しくしてくれてありがとう」。そう思えると「こんなに優しくしてくれる人がいて、わたしは幸せ」と思えるようになるのです。「ありがとう」は、わたしたちを幸せにしてくれる魔法の言葉だと言っていいでしょう。
 わたしたちは、幸せだから「ありがとう」と言うのではありません。そうではなくて、家族や先生、お友だち、そして神さまに、心から「ありがとう」と言える人が幸せなのです。どんなにたくさんの恵みをいただいても、「当たり前だ」と思う人はいつまでも「こんなの当たり前だ、もっともっと欲しい」と言って幸せになることができません。逆に、「ありがとう」が言える人は、ちょっとしたことでも幸せになります。キャンディーを一つもらっただけでも、「ありがとう」と思える人はそれだけで幸せになれるのです。
 「ありがとう」をたくさん見つければ見つけるほど、わたしたちは幸せになれます。「お母さん、今日もおいしい食事をありがとう」、「お父さん、働いてくれてありがとう」、「先生、今日も優しくしてくれてありがとう」「お友だちのみんな、楽しく遊んでくれてありがとう」。「こんなすばらしいお父さんやお母さん、先生、お友だちをくれた神様ありがとう」。「ありがとう」とうの数が多ければ多いほど、その人は幸せな人、その一日は幸せな一日になってゆきます。
 たとえば、寝る前に、お母さんと一緒に今日の「ありがとう」を数えてみたらどうでしょう。お母さんも、子どもといっしょに自分の「ありがとう」を数えてみたらいいかもしれません。「ママ、今日は先生がほめてくれたよ」「それは、ありがとうね」。「お庭のバラがきれいに咲いたわ」「それは、ありがとうだね」。そんな風に「ありがとう」を数えて一日が終えられたら、きっとその日は幸せな一日になるでしょう。そんな幸せな毎日を積み重ねていけば、みなさんは一生幸せに生きられるに違いありません。マリア様のように「ありがとう」と言える人、笑顔で「ありがとう」と言って、毎日を幸せに生きられる人になれるよう、心からお祈りしましょう。
※写真…小野田小百合幼稚園のマリア像。