祈りの小箱(167)『生きている人間のための宗教』


『生きている人間のための宗教』
 宗教の目的を、死んでから天国に入ることだと勘違いしている人がときどきいます。死んだあとで天国に入ることだけが宗教の目的ならば、そのような宗教は生きている人間には必要がありません。宗教の目的は、むしろ地上にいながら天国の喜びを味わって生きること、この地上に天国を実現していくことにあるのです。
 このことを強く感じたのは、先日、幼稚園の「夏の夕べ」に参加していたときのことでした。幼稚園の先生方や、お父さん、お母さん、教会の皆さんが汗水たらしてテントを立て、おいしい食べ物や飲み物を準備して下さったお蔭で、「夏の夕べ」は、時間がたつのを忘れるくらい楽しい集まりになりました。まさに、天国の喜びを先取りしたようなひと時だったと言っていいでしょう。キリスト教を信じている信じていないを問わず、みんなが集まって助け合い、互いを受け入れあいながら楽しいときを過ごせるこのような場を地上に実現していくことこそわたしたちの役割なのだと、そのときわたしは強く感じたのです。
 神の国」はどのようにやって来るのかと問われて、イエスは「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカ17:20-21)と答えました。「神の国」は、わたしたちの間にやってくる。いや、すでにあるというのです。わたしたちが互いを「神の子」、自分の兄弟姉妹と思って愛し合い、ゆるしあうなら、もうそこに「神の国」が来ているということでしょう。「神の国」とは、神の愛に満たされた人々の間に生まれる愛の交わりのことなのです。キリスト教は、イエスの教えを信じるものが互いに愛し合い、ゆるしあうことによって、この地上に「神の国」を実現していくための宗教だと言っていいでしょう。キリスト教は、死んだ人間のための宗教ではなく、生きているわたしたちのための宗教なのです。
★このカードは、こちらからダウンロードできます。⇒
JPEG 172『生きている人間のための宗教』.JPG 直
PDF 172『生きている人間のための宗教』.PDF 直