バイブル・エッセイ(410)畑に隠された宝


「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」(マタイ13:44-46)
 「畑に宝が隠されている。見つけた人は、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う」とイエスは言います。「天の国」は、畑に隠された宝のようなものだということです。畑を一目見て、その宝に気づくことができる人もいます。ですが、毎日その畑を耕していても、その宝に気づくことができない人もいます。もしかすると、それがわたしたちなのかもしれません。毎日耕している、日々の暮らしの中に宝が隠されているのに、わたしたちはその宝に気づいていないのです。
 昨日、教会学校のリーダーの結婚式に出席してきました。大きな喜びのうちに結婚式が終わり、披露宴の途中で、新婦が両親に手紙を読み上げる場面がありました。新婦はとても活発な方で、学生時代には学校行事や部活で大活躍していた方です。学生時代、彼女が疲れ果てて家に帰ってくると、いつもお母さんがおいしい紅茶をいれ、「今日は学校で何があったの?」と聞いてくれた。それが彼女の学校での活躍を支える力だった。彼女は、涙にむせびながら、途切れ途切れの声でそう読み上げました。日常のなんでもないような一つの風景ですが、それが、結婚という人生の節目に、すばらしい宝として彼女の心の中で光を放ち始めたのだろうと思います。その宝は、これからも大切な思い出となって彼女の心の中に輝き続けるに違いありません。
 わたし自身も、いまの宇部での暮らしには、たくさんの宝が隠されていると実感しています。幼稚園に行けば、まだ園の門を入ったところから子どもたちが見つけて、大きな声で「神父さまー」と呼んでくれます。いまは夏休みでちょっとさびしいですが、これはわたしにとって、日々の生活の中の大きな宝です。教会に行けば、たくさんの信者さんたちが近寄ってきて「神父様、あれはどうしましょう。これが〇〇しました」と話しかけてくれます。これも大きな宝です。忙しい毎日ですが、与えられる仕事の一つひとつにすばらしい宝物が隠されています。あとで思いだしても、それらの宝は、まばゆい輝きを放ち続けることでしょう。
 日常生活の中に隠された、このような宝を見失わないようにしたいと思います。日々の暮らしの中にちりばめられた、小さな愛の一つひとつの中に「天の国」があるのです。忙しさの中でゆとりを失い、自分を守ることしか考えられなくなると、身の回りにあるそのような宝が見えなくなってしまいます。そして、身近にある宝のことを忘れて、どこか遠くにある宝を探し求めるようになるのです。それは、悪魔の誘惑と言っていいでしょう。悪魔は、わたしたちの畑をお金で買い取ろうとさえするかもしれませんが、決して騙されてはいけないと思います。
 自分の畑に隠された宝の尊さに気づけば、すべてをかけてもこの畑を守ろうと思うはずです。どんな誘惑にも負けることなく、すべてを賭けてもこの暮らしを守り抜こうと思うはずです。「天の国」は、わたしたちが日々耕している畑、日々の暮らしの中に隠されている。そのことを、忘れないようにしたいと思います。
※写真…軽井沢のキャベツ畑。2011年撮影。