祈りの小箱(171)『言葉の響き』


『言葉の響き』
 聖書の中に、「互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい」(コロ3:13)という言葉があります。どんなことがあっても相手を赦しなさいということですが、それは相手に悪い所があっても見て見ぬふりをしなさいという意味ではありません。聖書が言っているのは、相手を責めてはいけないということであって、見て見ぬふりをしろということではないのです。
 相手の落ち度に気づいたとき、ついかっとなって、「なぜ、こんなことをしたんだ」と相手を一方的に責めてしまうことがあります。そんなとき、わたしたちはまるで自分にはまったく落ち度がないかのように振る舞っています。わたしたちの伝え方がよくなかったのかもしれないし、相手に対して十分な気配りができていなかったのかもしれないのに、まるで自分は完全な者であるかのように相手を責めてしまうのです。聖書がしてはいけないと言っているのは、そのことです。互いに落ち度がある不完全な人間同士なら、互いを憐み、ゆるし合うべきだ。責めたてて、相手を裁いてはいけない。聖書は、そうわたしたちに語っているのです。
 相手を赦しても、相手に明らかな欠点があるならば、それは相手にしっかりと伝えるべきでしょう。ただ、自分にも欠点があることを認めたうえで、それでも相手のためと思って伝えるのです。そのような思いで指摘するなら、たとえ同じ言葉で話したとしても、その言葉の響きはまったく違ってきます。その言葉は厳しい裁きの響きではなく、優しい愛の響きを持つのです。厳しい裁きの言葉を喜んで受け入れる人はいません。しかし、優しい愛の言葉は誰でも大喜びで受け入れます。状況をよくするために、どちらの言葉が役立つかは明らかです。どんなときにも、まず自分自身の落ち度を認めて相手を赦すことから始めたいと思います。
★このカードは、こちらからダウンロードできます。⇒
JPEG 177『言葉の響き』.JPG 直
PDF 177『言葉の響き』.PDF 直