祈りの小箱(173)『命を捨てても守るべきもの』


『命を捨てても守るべきもの』
 まだ神学生だったころ、浦上四番崩れによって長崎から流罪になった人々が殉教したことで知られる、津和野の乙女峠で観光ガイドをしたことがあります。訪ねてくる観光客に、殉教の様子などを説明するのです。ほとんどの人は熱心に聞いて下さいましたが、中にはこんなことを言う人もいました。「宗教のために命を捨てるなんて馬鹿げている。命より大切なものなんて、あるはずがないじゃないか。オウム真理教もそうだったけれど、宗教を始めると、そういうことが分からなくなるから怖い。」
 あの残酷なオウム真理教事件の直後だったので、信仰を守って自分の命を捨てる殉教と、宗教のために人の命を平気で奪うオウム真理教の印象が重なってしまったのかもしれません。「命より大切なものなどない」というのは、ある意味で、確かにその通りでしょう。さまざまな困難に押しつぶされて希望を失い、自分から命を絶とうとしている人には、そのような励ましが必要な場合もあります。「死んで花実が咲くものか」ということです。
 ですが、自分の命より大切なものをしっかりと持ち、そのために生きる人もいます。例えば、人の命を助けるために、自分の命を投げ出して働く医師。人権を守るために、自分の命を捨てて政府に抗議する活動家。あるいは、好きでもない相手と結婚させられそうになって、命がけで抵抗する人。愛する家族のために、自分の命をすり減らしても働き続けるお父さんやお母さんも、きっとそうでしょう。そのように、大切な何かのために自分の命さえも捧げている人たちの命は、きらきらと輝いているように思えます。自分の命よりも大切な何かを見つけ出し、そのために生きるとき、人間の命は輝くものなのです。
 殉教は、その延長線上にあると言っていいでしょう。殉教者たちにとっては、信仰こそ、神様の愛こそ、自分の命を捨てても守るべきものだったのです。彼らの命は、信仰を守って死ぬことによってまばゆい輝きを放ちました。もし信仰を捨てていれば、肉体は生き続けても、命の輝きは失われたに違いありません。殉教者たちは、死ぬことによって、最後まで命を輝かせて生きることを選んだのです。私たちも、殉教者たちの生きざまに学びたいと思います。
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