バイブル・エッセイ(419)『心の礼服』


『心の礼服』
「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』 しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。」王が客を見ようと入って来ると、婚礼の礼服を着ていない者が一人いた。王は、『友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか』と言った。この者が黙っていると、王は側近の者たちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇にほうり出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』招かれる人は多いが、選ばれる人は少ない。」(マタイ22:1-14)
 礼服を着ていない招待客を見つけて、追い出してしまった王様の話しです。急なことで礼服を準備できなかっただけなのかもしれないのに、ずいぶんひどい話だと思った方もいるのではないでしょうか。これが「神の国」のたとえ話だとすると、一体どういうことなのでしょう。
 夏のアジアン・ユース・デーのときの、わたし自身の失敗談をお話ししましょう。韓国に到着した日、わたしたち参加者全員に、黄色や緑、赤など色とりどりのTシャツやポロシャツが配られました。1日ごとに指定された色の服を着るようにということでした。真っ赤なTシャツを見てたじろいだわたしは、「これはついて行けない」と思って、1日目は、クラージマン(白いカラーが付いた司祭の服)で参加することにしました。同行司祭だからかまわないだろう。他の神父さんたちの中にも、きっとクラージマンの人がいるだろう、と思ったのです。ところが翌日、クラージマンで参加したのは、わたしとバングラデッシュの司教さんだけでした。その司教さんも、様子を見て午後からはTシャツに着替えてしまいました。回心したわたしは、翌日からはちゃんと指定の服を着たのでした。
 つまり、服装には、その人の思いが現われるということだと思います。韓国では、アジアン・ユース・デーの雰囲気について行けないというわたしの思いが、服装に現われたのです。婚礼の招待客の話しも、きっとそのようなことでしょう。この客は、王の息子の婚宴に招かれたことを、心の底から喜んではいなかったのだと思います。それが、彼の態度にも現れています。「友よ、どうして礼服を着ないでここに入って来たのか」と王が語りかけたのに、この客は頑なに黙っていたのです。服がないだけなら、きっとその事情を説明しただろうし、王もそのことを咎めはしなかったでしょう。黙っていたということは、きっと、「忙しいなか、わざわざ来てやったのに」とか、何か心の中に不満を抱えていたのだろうと思います。
 今日のたとえ話は、全体として、「神の国」に招かれた人がどのような態度をとるかということがテーマになっています。最初に招かれた人たちは、招待を無視したり、仕事が忙しいからと断ったりしました。みな、自分のことで忙しくて、婚宴などに行っている暇はないと思っていたのです。地上の喜びを得ることにしか興味がなく、「神の国」の喜びなどお断り、ということです。
 わたしたちは、このような態度を取ってしまうことがあります。例えば、神様はわたしたちを「神の国」に招くために、苦しんでいる人々への奉仕という招待状を送って下さいます。ところが、わたしたちは、「そんなことをしている暇はない」と断ってしまうのです。あるいは、神様はわたしたちを「神の国」に招くために、友だちや家族との和解という招待状を送ります。ですが、わたしたちは「あんな人と仲良くするなんて、絶対にいやだ」と招待状を破り捨ててしまったり、招待状を持ってきた人を逆恨みしたりするのです。
 アジアン・ユース・デーのときのわたしのように、礼服なしで婚宴に参加する客になってしまう場合もあります。参加はするけれども、心から喜んではいないのです。困っている人に奉仕するけれども、心の底では不満を感じている。喧嘩をした相手と表面的には仲よくするけれど、心の底では恨みを抱き続けている。そんなことがときどきあります。自分に強く執着しているので、「神の国」を満たす愛や、ゆるし、一致の雰囲気についてゆけないのです。
 大切なのは、「神の国」への招待を心の底から喜んで受け取り、「神の国」に喜んで出かけていくことだと思います。心の底からあふれ出る喜びこそ、「神の国」に入るために必要な唯一の礼服。自分にしがみつくのを止め、「神の国」を満たす愛、ゆるし、一致の恵みに喜んで身を任せることができるよう祈りましょう。
※写真…秋咲のバラ「セント・セシリア」。
★先週のバイブル・エッセイ『考え直す』を、音声版でお聞きいただくことができます。どうぞお役立てください。