バイブル・エッセイ(421)二つで一つの掟


二つで一つの教え
 ファリサイ派の人々は、イエスサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイ22:34-40)
 「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」「隣人を自分のように愛しなさい。」この二つの掟は、どちらも同じくらい大切だとイエスは言います。実際、この二つの掟は、切っても切ることができない、二つで一つの掟と言っていいでしょう。
 そもそも、神様を愛するとはどういうことでしょうか。例えば、お父さん、お母さんを愛すると言えば、お父さん、お母さんを大切に思い、お父さんお母さんが悲しむようなことをしない、お父さんお母さんがよろこぶことだけをするということです。神様を愛するというのも、それと同じだと思います。神様を愛するとは、神様を大切に思い、神様を悲しませないこと。神様をよろこばせることだけをすることなのです。
 では、神様はどんなときに悲しみ、どんなときによろこんで下さるのでしょう。もし転んで泣いている友だちがいるときに、その友だちを無視して通り過ぎたら、神様はよろこぶでしょうか。自分のことしか考えていないわたしたちの姿を見て、神様はきっと悲しむに違いありません。逆に、もしわたしたちがどんなに忙しくてもその友だちのそばに駆け寄り、手を差し出したり、優しい言葉をかけてあげたりするなら、神様はきっとよろこぶでしょう。神様は、神様の子どもであり、兄弟姉妹であるわたしたちが仲よくするのを見てよろこぶ方だからです。
 神様を愛すると言いながら、神様を悲しませるようなことばかりしていたらどうでしょうか。その人は、神様を本当に愛しているとは言えないでしょう。だから、神様を愛するということと、隣人を愛するということは一つなのです。神様を愛しなさいという教えと、隣人を愛しなさいという教えは、二つで一つの教えなのです。
 イエスが、「隣人を愛しなさい」だけではなく、「隣人を自分のように愛しなさい」と言っていることにも注意したいと思います。もし自分をあまり愛していない人が、隣人を「自分のように」愛したら、それは困ったことになるでしょう。わたしたちは、隣人を愛する前に、まず自分自身を愛する必要があるのです。わたしたちが心の中で、「わたしはあれもできないし、これもできない。こんな自分は大嫌い」と思って自分をいじめていれば、神様はきっと悲しむに違いありません。逆に、「いろいろできないこともあるけれど、わたしはこんな自分が大好き。神様ありがとう」と思って毎日を幸せに生きていれば、神様はきっと喜ぶでしょう。神様を愛するためには、自分自身を愛することも大切なのです。
 神様を愛し、隣人を愛し、自分自身を愛して生きていると、わたしたちの心の中に大きな喜びと力が湧き上がってきます。神様を愛することで、わたしたちは神様の愛の恵みをたっぷりと受け取ることができるのです。神様から恵みを受け取ったなら、その恵みをまわりの人たちと分かち合いましょう。そうすれば、神様をもっともっと喜ばせることができるはずです。
※写真…教会の庭に咲いたツワブキの花。
★先週のバイブル・エッセイ『神様の刻印』を、音声版でお聞きいただくことができます。どうぞお役立てください。