バイブル・エッセイ(434)『愛の中で生まれ変わる』


『愛の中で生まれ変わる』
 そのとき、洗礼者ヨハネはこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」そのころ、イエスガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川ヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。(マルコ1:7-11)
 神の子イエスが、ヨルダン川ヨハネから洗礼を受ける場面が読まれました。なぜ、罪のない「神の子」が洗礼を受ける必要があったのかと思う人もいるかもしれませんが、実はこの場面にこそ洗礼の深い意味が隠されています。なぜわたしたちは洗礼を受けるのか、洗礼とは一体何なのか、この場面から考えてみましょう。
 イエスは洗礼を受けたとき30歳くらいでした。それまでは、ナザレで大工として普通の生活をしていたのです。生活するために利益も上げなければならなかっただろうし、人間関係のトラブルに巻き込まれたり、世間の不条理に直面して苦しんだりすることもあったでしょう。洗礼が、そのような生活から新しい生活、「神の子」としての使命を果たす「公生活」に入っていくための大きな節目であったことは間違いがありません。
 当時の洗礼は、水に浸かる形で行われていました。水に浸かって古い自分に死に、罪を清められて新しい生活に入る。それが、ヨハネの洗礼だったのです。ですが、イエスの洗礼は、それだけでは終わりません。イエスが水から上がると聖霊が降り、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者」という天からの声が響きました。エスは、水に浸かって古い自分に死に、神の愛の中で新しい生活に入ったのです。ここに、キリスト教の洗礼の原型があります。洗礼とは、水に浸かって古い自分に死に、神の愛の中で新しい自分に生まれ変わるということなのです。
 「あなたはわたしの愛する子」と呼ばれ、ありのままの自分を丸ごと受け入れられる体験は、わたしたちに生きる力を与えてくれます。「あなたはわたしの愛する子」という神の呼びかけを聞くとき、わたしたちは「これほどまでにわたしを愛して下さる方がいるなら、これまで通りの自分でいるわけにはゆかない。この愛に答えて生きてゆこう」と思わずにいられないからです。
それだけではありません。「わたしの心にかなう者」という言葉を聞くとき、わたしたちは、神の御旨を地上に実現してゆくという自分の使命に気づきます。神の御旨に従って生き、全世界に神の愛を告げ知らせる。すべての人を、神との愛の交わりの中に呼び戻す。その使命に気づき、力強く歩み始めることができるのです。
 「あなたはわたしの愛する子。わたしの心にかなう者」と天から響く声の中で、わたしたちは生きる力と果たすべき使命を与えられます。生きる力と果たすべき使命を与えられ、神の愛の中で新しい自分に生まれ変わる。それこそが洗礼の意味なのです。天から響く神の声に耳を傾け、日々、新しい自分に生まれ変わる。それこそが、洗礼を生きるということなのです。
★元旦のバイブル・エッセイ『心に納めて思い巡らす』を、音声版でお聞きいただくことができます。どうぞお役立てください。