バイブル・エッセイ(442)『自分の弱さを知る』


『自分の弱さを知る』
 エスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである。(ヨハネ2:23-25)
  「多くの人がイエスの名を信じた。しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった」と書かれています。これはちょっと意外なことです。イエスが説いている隣人愛の教えから言えば、相手が誰であっても信用するのが大切なように思えますが、イエスは人々を信用しなかったというのです。なぜ、イエスは人々を信用しなかったのでしょう。それは、人間の弱さをよく知っておられたからだと思います。
 この箇所は、「イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである」と締めくくられていますが、逆に、人間の弱さを知るためにこそ、イエスは人間になったとも言えるでしょう。人間の弱さを知らなければ、人間を救うことができないからです。たとえばこの場合、もしイエスが人間のことをよく知らなければ、口先だけの人間の言葉を聞いて信用し、「よかった、これで人間を救うことができた」と安心してしまったかもしれません。そして、すぐに裏切られて落胆したかもしれないのです。
 しかし、人間であるイエスは、人間の弱さをよく知っていました。どれほど口先で愛を誓ったとしても、欲望や本能に引きずられて自分を守ろうとし、相手を裏切ってしまう人間の弱さをよく知っておられたのです。だから、相手を信用しなかったのだと思います。相手に過度の期待を抱かなかったと言ってもいいでしょう。だからこそ、人々に裏切られたとしても、「ある意味で、当然のことかもしれない」と思って落胆することがありませんでした。むしろ、人間の弱さをあわれみ、自分を裏切った人々のために祈ることができたのです。人間の弱さを自分自身で味わい、よく知っていたからこそ、イエスは人間を救うことができたのです。
 わたしたちが互いにゆるしあい、愛し合うためには、人間の弱さをよく知ることが大切だと思います。それは、つまり自分自身の弱さをよく知るということです。自分がどれだけお金や名誉、権力、楽な生活などの誘惑に引きずられてしまいやすいかをよく知っている人は、相手が同じような誘惑を受けて罪を犯したとしても、その罪に同情できるようになるでしょう。上から目線で相手を裁くのではなく、同じ弱さを抱えた人間として、相手をゆるし、相手のために祈ることができるようになるのです。
 人間の弱さを知るということは、相手をゆるすためだけでなく、自分自身をゆるすためにも必要なことだと思います。自分を信用し過ぎている人、自信満々な人は、思った通りに行動できないと自分自身に落胆し、自分を厳しく裁くいてしまうからです。どれほど失敗したとしても、「まあそんなものさ」と自分をゆるすことができるのは、自分の弱さをよく知っている人だけなのです。相手をゆるすために、自分自身をゆるすために、人間を信用し過ぎない知恵をイエスから学びたいと思います。