バイブル・エッセイ(444)『自分の殻を破る』

■お知らせ■3月22日晩から3月31日朝まで「年の黙想」のため宇部教会を留守にします。黙想中は外部との連絡が取れませんので、ブログの更新もしばらくお休みさせていただきます。次回の更新は、4月1日になる予定です。どうぞお祈りください。

『自分の殻を破る』
 さて、祭りのとき礼拝するためにエルサレムに上って来た人々の中に、何人かのギリシア人がいた。彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。フィリポは行ってアンデレに話し、アンデレとフィリポは行って、イエスに話した。イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。(ヨハネ12:20)
「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」とイエスは言います。イエスの死の暗示と受け取れますが、この言葉は生きているわたしたちにも当てはまると思います。麦が死ぬというとの意味を考えてみましょう。
 わたしたちが一粒の麦だとすれば、麦がつける実は何でしょう。それは、わたしたちの間に結ばれる愛です。それを取って食べる人に、生きる力を与える愛の実こそ、わたしたちがつける実なのです。愛の実を実らせるためには、相手に自分を差し出すこと、自分に死ぬことがどうしても必要になります。自分の殻の中に閉じこもっていては、決して愛の実をつけることができないのです。
 わたしたちは、自分の周りにさまざまな殻を張り巡らせて生きています。自分自身についての思い込みや友人についての思い込み、家族は、教会は、世の中はこうあるべきという思い込みなどの殻を作り上げることで、日々を安心して生きているのです。畑の麦でももみ殻がなければすぐに干からびてしまうでしょうから、殻は必要なものです。ですが、殻が厚くなりすぎると、それは愛を妨げる障壁になってしまいます。
 たとえば、自分は正しいという思い込み。自分のしていることに自信を持つのは大切なことですが、それはあくまで神様の御旨にかなっているから正しいということであって、自分が正しいというわけではありません。そのことを忘れて自分自身が正しいのだと思い込むと、それは愛を妨げる殻になります。「あの人のやり方は間違っている」というような断罪の言葉となって、人と人との交わりを断ってゆくのです。わたしだけが正しい、あの人は間違っているという態度から愛が生まれてくることは決してありません。
 自分についての思い込みは、プライドと言い変えてもいでしょうい。自分はこのような人間だという誇り、このような人間でありたいという思いはとても大切だが、ときにその誇りが愛を妨げる殻になることがあります。自分についての過度の自信は、「このわたしにあんなことを言った誰それは、絶対にゆるすことができない」という思を生み、人と人との交わりを断ってしまうのです。自分はすばらしい人間だ、批判は絶対に許さないという態度から愛が生まれてくることは、決してありません。
 わたしたちは、周りの人たちについても思い込みの殻を作りがちです。「あの人は三丁目のタバコ屋のおばあちゃんで、おしゃべりが好き」「あの人は会社の社長で、気位が高い」というような分類をすることによって、その人との付き合い方を決めていくのです。人間関係を円滑にするために、それは必要なことでしょう。ですが、行き過ぎると愛を妨げる殻になってしまいます。そのおばあちゃんが何か大事なことを話したいと思っているときでも、イエス様がそのおばあちゃんを通してわたしたちに語りかけているときでも、「いつものおしゃべりが始まった」と思って聞き流してしまう可能性があるのです。この人は〜な人だという決めつけから愛が生まれてくることは、決してありません。
 自分を取り巻く社会についても、思い込みの殻が生まれることがあります。社会の伝統を守ることは大切ですが、それが愛を妨げる場合もあるのです。たとえば、教会の外で新しい問題が次々と発生し、人々が助けを求めているときに「そんなことはいままでしたことがない。教会らしくない」と考えるなら、それは愛を妨げる殻だと言っていいでしょう。変化に対して頑なに背を向ける態度から愛が生まれることは、決してないのです。
 カトリック宇部教会創立80周年を祝うこの1年を、愛の実をたくさん実らせるために、麦の殻を破ってゆく1年にしたいと思います。自分は正しいという思い込みや高すぎるプライド、周りの人たちについての思い込み、社会についての思い込みの殻を破ることができるように。固い殻に閉ざされた闇の世界を抜け出して、光の世界で花を咲かせ、実をつけることができるよう共に祈りましょう。