バイブル・エッセイ(451)『声の響きを聞き分ける』


『声の響きを聞き分ける』
「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いでなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。――狼は羊を奪い、また追い散らす。――彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。」(ヨハネ10:11-16)
 「わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」とイエスは言います。具体的に言えば、羊は、相手がよい羊飼いかどうかを、声だけで聞き分けられるということです。声の響きの中に、その人がどんな人かが表れることが、確かにあると思います。よい羊飼いの声とは、いったいどんな声なのでしょう。
 決定的な違いは、羊飼いの心の中に、「羊のために命を捨てる」覚悟があるかどうかでしょう。相手を欺き、自分のために利用しようとしている人の言葉と、自分を捨て、相手のためだけを思って語る人の言葉には、明らかに違った響きがあるのです。相手を自分のために利用しようとしている人の言葉には、端々に自己顕示欲やごまかしが感じられるものです。傲慢に相手を見下すような横柄な口調や、自分は偉いと言いたげな自信満々な口調、自分の間違いをごまかそうとする口調の中に、その人の心のありようがはっきりと表れてしまうのです。
 それに対して、自分を捨て、相手のためだけを思って語っている人の言葉には、自己顕示欲やごまかしの陰りがまったくありません。明るくて透明な、澄み切った言葉に、その人の心のありようがはっきりと表れます。よい羊飼いの声の中には、ただ純粋な愛の響きだけが聞こえるのです。
 別な言い方をすると、それはその人が頭で語っているか、心の底から語っているかということです。自分のことしか考えていない人は、何とか相手を欺こう、自分を実際よりもよく見せようと頭で考えて語ります。表面的に美しい言葉や雄弁な言葉を語ったとしても、聞く人が聞けば、それは嘘だということがすぐに分かるものです。なぜなら、言葉の響きの中に愛の温もりがまったく感じられないからです。
 それに対して、自分を捨て、ただ相手のためだけを思っている人の言葉は、その人の心の奥底から湧き上がってくる言葉です。相手を何とか助けてあげたい、苦しみから救い出したいという一途な思いが、心の奥底から言葉となって湧き出してくるのです。表面的な美しさや雄弁さがなかったとしても、その言葉の中には確かに愛の温もりがあります。邪念のない澄み切った透明な言葉の中に、ただ愛の響きだけが聞こえるのです。
「よい羊飼い」の弟子として、苦しんでいる人々、助けを求めている人々に福音を伝える使命を与えられたわたしたちは、自分の声の響きによく注意する必要があると思います。いま、自分は、相手を欺いて、自分を実際よりもよく見せようとして語っていないだろうか。頭で考えただけの上滑りな言葉を語っていないだろうか。自分自身に、絶えず問いかける必要があるでしょう。愛の響きを持った言葉を語るには、心の中に真実の愛がなければなりません。相手に関心を持ち、相手を大切に思う心があって、初めてわたしたちの声に愛が宿るのです。「よい羊飼い」の弟子として人々に福音を伝えるために、わたしたちも相手のために命を捨てるほどの愛を持つことができるよう祈りましょう。