バイブル・エッセイ(454)聖霊を呼び出す


聖霊を呼び出す
 旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。(使徒言行録2:1-4)
「激しい風」と「炎のような舌」によって、聖霊が弟子たちの上に降臨しました。勇壮な出来事ですが、すでに聖霊の恵みを受けているわたしたちにとって、聖霊を呼び出すことはそれほど難しいことではありません。いつでもどこでも聖霊を呼び出すことができる、とっておきの方法をご紹介しましょう。
 その方法とは、神に自分のすべてを委ね、心を空っぽにすることです。心を空っぽにすれば、そこに必ず聖霊がやって来るのです。ある中世の神学者は、「それは、大気中に真空ができれば、必ずそこに周りの空気が流れ込むのと同じくらい確実なこと」と言っています。聖霊はいつでもわたしたちの周りに降り注いでいるのですが、わたしたちの心がふさがっているので入ってくることができないのです。
 具体的にはどうしたらいいかのでしょう。どうしたら心を空っぽにできるのでしょうか。わたしたちの心が一杯になるのは、何かにしがみついているからです。何かにしがみついているとき、わたしたちの心はしがみついているもののことで一杯になってしまうのです。聖霊がやって来るための空間を作り出すためには、しがみついているものを手放すことです。しがみついているものを神に委ね、自分の心を空にすれば、必ず聖霊が来て下さるのです。
 例えば、財産にしがみついている人は、どうやって自分の財産を守ろうか。財産を狙ってくる敵をどうやってやっつけようか。財産を使って何をしようか、というようなことで心が一杯になっています。聖霊が入ってくる隙間はどこにもありません。そんなときには、財産への執着を手放し、「神様、この財産はあなたが下さったものです。あなたの御旨のままにお使いください」と祈りましょう。そうすれば、心に隙間ができ、そこに聖霊が来てくださいます。聖霊はわたしたちに、どうやってその財産を使ったらいいかを教え、財産を生かすための力を与えて下さるでしょう。
 誰かへの憎しみに捕らわれている人は、憎い相手のことで心が一杯になっています。どうしたら相手をやっつけられるか、どうしたら相手の評判を落とすことができるか、どうしたら相手を葬り去ることができるか。そのような思いで心が満たされているので、聖霊が入ってくることができません。そんなときには、憎しみを手放し、「神様、あの憎い相手もあなたの子どもです。あの人のことはあなたにお任せします」と祈りましょう。そうすれば、心に隙間ができ、そこに聖霊が来てくださいます。聖霊はわたしたちに、その相手とどうやって付き合っていったらいいかを教え、和解するための力を与えて下さることでしょう。
 人前で緊張したときにも、聖霊を呼び出して助けてもらうことができます。人前に出て緊張してしまう人は、失敗したらどうしよう、どうしたら自分をよく見せられるだろうというような思いで心が一杯になっているために、聖霊が入ってくることができなくなっています。そんなときには、自分をよく見せたいという思いを手放し、「神様、わたしは所詮、欠点だらけの弱い人間です。御旨であれば、わたしを使って、あなたがすべてのことをして下さい」と祈りましょう。それすれば、聖霊がやって来てわたしたちの心を満たし、話すべき言葉や行うべきことを行う力を与えて下さいます。自分ができないと思い込んでいたことまでできるようになり、実力以上の結果を出すことができるのです。
 聖霊を呼び出すのは、本当に簡単なことです。神を信じてしがみついているものを手放し、神の手にすべてをお委ねすればいいのです。神にすべてを委ねて自分を差し出した人を、神が放っておくことはありえませんから、これ以上に確実な方法はないと言っていいでしょう。この方法をわたしたち一人ひとりがしっかり身に着け、この教会を聖霊の風で満たしてゆきましょう。