バイブル・エッセイ(552)「ただ前だけを見て進む」


「ただ前だけを見て進む」
 一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」と言う人がいた。イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」と言われた。(ルカ9:57-62)
「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」とイエスは言います。神に導かれて人生の道を一歩踏み出したなら、振り返ることなく、ただ前だけを見て進みなさいということでしょう。どんどん先に進んでゆくイエスの背中を見て、イエスの後についてゆく。それが、キリスト教徒の生き方なのです。
 大きな苦しみにあうとき、わたしたちは過去のことをくよくよと振り返ってしまうことがあります。例えば、仕事で取り返しのつかないミスを犯してしまったときなど、「あのときああしていれば、こうしていれば」と、つい考えてしまうのです。ですが、くよくよ振り返っても仕方がありません。どんなに振り返っても、過ぎた時間をもとに戻すことはできないからです。一度犯してしまったミスを、なかったことにすることはできないのです。そんなことを考えて立ち止まり、いまできることさえしなければ、事態はますます悪くなるでしょう。過去を振り返るより、生活を立て直すために、いま何ができるかを考えた方がいいのです。
 あるいは例えば、定年退職などでかつての地位や名誉を失ってしまったとき。いつまでも、「あの頃はよかった。わたしは昔、偉かったんだ」と過去の栄光にしがみついても仕方がありません。どんなに振り返ったところで過去の栄光は戻ってこないのです。若いころをどんなに懐かしんだところで、あの日に戻ることはできません。そんなことを考えてしょぼくれた顔をしていれば、輝きはますます失われてゆくでしょう。過去の栄光を振り返るより、いま自分を輝かせるために何ができるかを考えた方がいいのです。
 一度、進んでしまった人生の時計は、二度と元に戻すことができません。わたしたちにできるのは、ただ前を見て進んでゆくことだけなのです。前を進んでゆくイエスの背中だけを見て、その後についてゆくしかないのです。起こってしまった失敗はもう仕方がありません。大切なのは、同じ間違いを犯さないために、イエスのあとをしっかりついてゆくことです。過去の栄光にしがみついても仕方がありません。大切なのは、いま自分に与えられている使命を果たすことで、いまを輝かせることなのです。
 エリシャはエリアについてゆくとき、元の生活に心を惹かれることがないように、牛を殺し、装具を燃やして自ら退路を断ってしまいました。わたしたちにも、そのくらいの覚悟が求められています。わたしたちは、イエスと出会い、「神の国」を目指して旅を始めるとき、古い自分はすべて焼き払ってしまったのです。もう昔と同じ生活に戻ることはできません。
 どんなときでも、イエスはわたしたちの前を進み、行く道を示してくれます。疲れて歩けないときには、わたしたちの横に立って慰めてくれます。振り返ることなく、イエスと共にこの人生の旅を続けてゆきましょう。