バイブル・エッセイ(762)闇に輝く光


闇に輝く光
 エスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。(マタイ4:12-17)
「闇の中を歩む民は、大いなる光を見、死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた」というイザヤの預言が引用されています。当時、ガリラヤは異邦人の地とされ、ユダヤ人たちから見下された場所だったのです。差別され、抑圧され、人間として価値のないものとして扱われる人々に、神は希望の光を与えました。それがイエス・キリストだったのです。エスは人々に、わたしたちは誰もが神の子であることを告げました。ガリラヤだけではありません。広くユダヤ全土で、職業や性別、病気などによって差別され、抑圧され、人間として価値のないものとして扱われていた人々に、イエスは希望の光をもたらしました。生まれや地位、身分、職業、性別、健康状態などに一切関係なく、すべての人はかけがえのない神の子。すべての命は、神の愛の中から生まれてきたかけがえのない命だと告げたのです。言葉だけでなく、自らも貧しい生活をしながら貧しい人々、病人や売春婦、徴税人たちの苦しみにより沿うことによって、イエスはそのメッセージを人々に伝えてゆきました。イエスの存在そのものが、まさに闇の中に輝く光だったのです。
 高山右近列福や映画『沈黙』の公開など、このところキリシタン時代を振り返る機会がたびたびあります。ザビエルの到着以降、なぜキリスト教は爆発的に広まったのでしょう。遠藤周作は『沈黙』の中で次のように書いています。
「本当に長い間、この百姓たちは牛馬のように働き、牛馬のように死んでいったのでしょう。我々の宗教がこの地方の農民に拡がっていったのは、生まれてはじめてこの連中が人の心の温かさを見たからです。人間として取り扱ってくれる者に出会ったからです。」
 当時の宣教師たちは、貧しい百姓や町人たちの真っただ中に入り込み、彼らと同じ生活をしながら、彼らの苦しみに寄り沿いました。民衆と共に苦しみながら、神はすべての人の父であること、わたしたちは誰もが神の子であることを説いたのです。人生に希望や意味を見いだせないまま、絶望の闇の中に生きて来た人たちは、吸い寄せられるようにしてこの光の周りに集まって来ました。キリシタン大名として有名な高山右近親子は、身寄りのない百姓が死んだとき、その葬列に自ら参加したと言われています。これは、身分に厳しく縛られた当時の社会では、まったくありえないことでした。右近親子は、貧しい百姓を、まさに「神の子」として扱ったのです。どこにも希望を見いだせない戦国の闇の中に住んでいた人々は、右近親子が輝かせた愛の光に吸い寄せられてゆきました。生まれて初めて自分の人生に意味を見つけ出し、心の幸せを手に入れた人たちが、それを宝物のように守って殉教していったのはある意味で当然のことかもしれません。
 現代の社会にも、差別され、抑圧され、価値のないものとして扱われている人たちはいます。その人たちに希望の光を輝かせるのがわたしたちの使命です。競争社会の中で傷つき、絶望している人たちにとって、「わたしたちは神様の子ども。一人ひとりがかけがえのない命」というメッセージは、まばゆい希望の光でありえます。キリシタン時代の宣教師や右近親子がしたように、イエス・キリストご自身がそうされたように、わたしたちも現代に希望の光を輝かせてゆきましょう。