バイブル・エッセイ(835)聖家族

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聖家族

両親は過越祭には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはエルサレムに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、一日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。(ルカ2:41-52)

「なぜこんなことをしてくれたのですか」とイエスを叱るマリアに、イエスは「わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」と逆に問いかけます。この問いには、単なる口答えでは済まない深い真理が含まれているように思います。わたしたちは誰もが、両親の子どもであると以前に、父である神様の子ども。たとえ両親の思いに反したとしても、神様のみ旨のままに生きるのが神の子の務めだということです。
 親子の関係が難しくなる一つの要因は、お互いが相手に対して大きな要求を突きつけることでしょう。親は子どもに対して、「わたしの子どもなのに、なぜわたしの思った通りに行動しないんだ。育ててやった恩を忘れたのか」と自分の思いを押し付け、子どもは親に対して、「親のくせに、なんでこんなこともしてくれないんだ」と自分の思いを押し付けてしまうのです。親子の関係が難しくなるのは、ほとんどの場合、自分が勝手に相手に対して抱いている思いを「親子」の名のもとに相手に押し付けるのが原因であるように思われます。
 そのような親子の愛憎の泥沼から抜け出すための唯一の道が、イエスの答えの中に示されています。それは、相手は自分の子どもである以前に、神様の子どもなのだと思い出すということです。親の立場からは、「わたしはこの子のためを思って言ってるんです。神父さんは子どもがいないから親の気持ちがわからないんだ」という意見が出ることもあります。ですが、親だからといって、その子にとって一番「ためになる」こと、その子が幸せになるための道が分かっているとは限りません。その子にとっての幸せが何なのか、知っておられるのは神様だけなのです。子どもが自分の言うことを聞かないときは、腹を立てる前に、「この子は、わたしたちの子どもである以前に神様の子ども。この子の幸せは、神様だけがご存じだ」と自分に言い聞かせ、「神様、どうぞこの子にとって一番いい道をお示しください」と祈ったらよいでしょう。
 子どもにも、親の愛情に報いたいという気持ちは必ずあります。ですが、「こんなに愛しているのになぜわたしのいうことを聞かないんだ。この親不孝者」という態度をとられてしまうと、その気持ちは萎えてしまいがちです。親が祈るような気持ちで寄り添い続けるなら、子どもは必ずその親の愛に応えてくれるでしょう。子どもにとっても、親にとっても一番よい道を、神様が示してくださるのです。「わたしの子どもなのに」ではなく、「わたしの子どもなんだから仕方ない」くらいの気持ちで子どもを受け止め、子どものために祈り続ける。それが最善の道ではないかと思われます。
 子どもの立場で親と向かい合うときにも、同じことが言えます。親に対してはつい、「自分の親なんだから、こうあってほしい」という思いが強く出てきます。ですが、親であったとしても、神様の前では一人の子どもなのです。親だからといって、すべてについて正しい判断ができるわけではないし、「親らしく」ふるまえるとも限らないのです。親に対して腹が立ったときは、「親も、神様の前では、救いを求める一人の子どもに過ぎない」と自分に言い聞かせ、「神様、どうぞ父にとって、母にとって一番いい道をお示しください」と祈るのがよいでしょう。
 今日は聖家族の祝日ですが、聖家族とは、家族の全員がそれぞれ、「自分は神様の子ども、家族も神様の子ども」であることを忘れず、たえず神様のみ旨を求めて生きる家族のことでしょう。イエス、マリア、ヨセフの模範に倣い、聖家族を実現できるように祈りましょう。