バイブル・エッセイ(869)分裂をもたらすために

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分裂をもたらすために

「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、対立して分かれる。」(ルカ12:49-53)

「私が地上に平和をもたらすために来たと思うのか。むしろ分裂だ」とイエスは言います。イエスは、弱者の犠牲の上に成り立つ見せかけの平和を打ち壊し、すべての人が「神の子」として幸せに生きられる世界を実現するためにやって来たということでしょう。イエスと出会い、わたしたちの心に「神の愛」が宿るとき、地上には必ず分裂が生まれるのです。
 例えば、わたしたちはいま「平和」を神に感謝しています。ですが、この地球上を広く見渡せば、いまの時代が決して平和な時代でないことは明らかです。たくさんの人たちが戦火に巻き込まれ、難民となり、病や飢えで命を落としている。だが、自分たちとは関係がない。「平和」な国に生まれてよかった、というような意味での「平和」は、神の望む平和ではありません。むしろ、わたしたちは苦しんでいる人たちの叫びに耳を傾け、苦しみを生み出す悪に立ち向かう必要があります。悪に打ち勝ち、すべての人が幸せに暮らせる世界こそ、神が望む平和な世界なのです。
 もっと身近なことで、学校や職場、教会などで仲間が何らかのトラブルによって苦しんでいるとき、「自分とは関係がない。わたしの平和な日々をかき乱さないでほしい」と思うなら、そのような「平和」は神が望む平和ではありません。仲間を苦しませている悪と立ち向かい、それに打ち勝ってこそ、初めて真の平和が実現するのです。
「分裂」は、わたしたちの心の中にも起こります。 もし自分自身が家族や友人を裏切り、人を傷つけるような行為をしている場合には、「このくらいは大丈夫」という気持ちと、「こんなことはすべきでない」という気持ちの間に葛藤が生まれるのです。そのような心の分裂、葛藤に打ち勝ち、愛を貫いたときわたしたちの心に宿る安らぎ。それこそが真の平和なのです。
「自分さえよければ」あるいは「自分たちさえよければ」と考え、他の人たちの苦しみを無視することで成り立つ「平和」を壊し、真の平和を実現するためにイエス・キリストは来られました。イエスはわたしたちの心に「火」、すなわち愛の火を投じ、無関心や偽善を焼き払って、真の平和を実現するために来られたのです。わたしたちはいま、本当に平和な世界に生きているのか。自分の心は本当に平和なのか、あらためて見直したいと思います。