バイブル・エッセイ(881)命をかち取る

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命をかち取る

 ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」(ルカ21:5-19)

 これまでに積み上げてきたものがすべて崩されるばかりか、人々から裏切られ、罵られるときが必ずやって来る。だが、神は決してあなたたちを見捨てない。「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」、とイエスは言います。最後まで諦めず、神から与えられた命を精いっぱい生き抜きなさいということでしょう。

 天地が揺れ動き、疫病や大戦が命を脅かす。わたしたちが生きている間に、そのような終末がやって来る可能性は低いでしょう。ですが、わたしたち一人ひとりに、確実にやって来る終末があります。それは肉体の死です。歳を取るにつれて、わたしたちの体は少しずつ衰えてゆきます。磨き上げてきた能力や、積み上げてきた体験なども、少しずつ失われ、崩れてゆくのです。何かができること、何かを持っていることを誇るなら、それらは老いと死によってすべて奪い去られることを覚悟しておかなければなりません。

 裏切りや迫害も、やってくるかもしれません。元気で力があった頃には集まってきた人たちが、老いて力を失ったり、病気に倒れたりすれば、もう姿を見せなくなる。もの忘れや勘違いがひどくなってくれば、家族からさえ、「またおじいちゃんがこんなことして」などと見下されたり、罵られたりする。邪魔者扱いされ、「早く死ねばいいのに」とさえ言われる。投獄されることはないにしても、施設などに預けられてしまう。残念ながら、そんなことは起こりがちなのです。

 そう考えると、老いること、死ぬことが恐ろしくなってきます。ですが、どんな迫害が起こったとしても、何も心配する必要はないとイエスは言います。そのときになれば、必要な知恵と言葉が必ず与えられるというのです。物忘れがひどくなってくればなってきたで、そのことを安らかな気持で受け入れ、幸せに暮らしてゆく方法はあるし、病気で体が動かなくなればなったで、幸せに暮らしてゆく方法はあります。そのときにすべきこと、家族や友人、周りの人たちに語るべき言葉は、そのときになれば神様が教えてくださる。いまから心配する必要はない。イエスの言葉は、わたしたちにそう語りかけているようです。

 大切なのは、忍耐ということだと思います。体が衰え、若さを失ったとしても、決して悲観しない。これまで出来たことができなくなったとしても、自分に対して苛立たたない。人から見下されたとしても、決して腹を立てない。何があっても神様はわたしを見捨てることがないと固く信じ、神様の愛に包まれて、いつも心に希望の火を燃やし続けている。自暴自棄にならず、この地上で自分に与えられた使命を、最後の瞬間まで果たしぬく。それが、忍耐するということであり、「命をかち取る」ということだとわたしは思います。最後まで自分の命を生き抜いた人に、神は永遠の命を与えてくださるのです。「忍耐によって命をかち取る」ことができるよう、心を合わせて祈りましょう。