バイブル・エッセイ(905)平和があるように

f:id:hiroshisj:20200417121509j:plain

平和があるように

 その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20:19-29)

 部屋の中に集まって怯えている弟子たちに向かって、イエスは「あなたがたに平和があるように」と呼びかけました。この言葉は当時、普通に挨拶として使われていたと言いますから、ただの挨拶ともとれますが、弟子たちに2度、3度と繰り返し「あなたがたに平和があるように」と呼びかけていることには、やはり意味があるように思います。復活したイエスの何よりの願いは、恐れや不安によってかき乱された弟子たちの心に、平和を取り戻すことだったのではないでしょうか。

 そもそも平和とは一体何でしょう。キリストの教えた平和は、単に戦争がないことや、自分たちの身が安全であることを意味していません。キリストの教えた平和は、神の愛を信頼し、すべてを神に委ねて生きること。わたしたちが互いに愛し合い、神のみ旨をこの地上に実現することを意味しています。イエスが十字架に付けられた後、弟子たちの心は平和を失っていました。なぜなら、神の愛を疑い、キリストを裏切ってしまったからです。神の愛という土台を失った弟子たちの心は、不安や恐れに引き裂かれ、千々に乱れていました。羊飼いを失った羊たちのようだったと言ってもいいかもしれません。

 そんな弟子たちに向かってイエスは、「あなたがたに平和があるように」と呼びかけました。「あなたがたの罪はゆるされた。わたしはいつもあなたがたと共にいる。何も恐れる必要はない」、そんなイエスの思いがぎゅっと詰まった言葉。それが、「あなたがたに平和があるように」だったのです。聖書は短く「弟子たちは主を見て喜んだ」とだけ書いていますが、弟子たちの心を満たした喜びはどれほど大きかったでしょう。すべての罪がゆるされ、神の愛に包まれた喜びと安らぎが、心の奥底から湧き上がって彼らを包み込んだに違いありません。死によってさえ引き裂かれない強い絆で、キリストと結ばれている。もっともひどい裏切りでさえゆるしてくださるほど、神はわたしたちを愛してくださっている。そう確信したとき、彼らの心は平和を取り戻したのです。

 部屋の中に籠って怯えている弟子たちの姿は、いま新型コロナウイルスに怯えながら部屋にいるわたしたちの姿とどこか重なる部分があるように思います。もし怯えているとすれば、わたしたちは一体、何に怯えているのでしょう。自分が、あるいは家族が感染することへの恐怖に怯えているのでしょうか。それとも、自分の生活はこれから一体どうなるのか、教会はどうなってしまうのかといった将来への不安に怯えているのでしょうか。そんな風に怯えるわたしたちに向かってイエスは今、「あなたがたに平和があるように」と語りかけておられます。「何があっても、あなたたちにはわたしがついている。どんな恐ろしい病気でも、わたしとあなたたちを引き裂くことはできない」と、復活したキリストは今、わたしたちに語りかけておられるのです。

 病気を警戒し、用心することは大切です。「神がついているから大丈夫」などと言って不用心に集まったりすることを、神は望んでおられないのです。それは、かえって神を試みる行為であって、不信仰だと言ってもいいでしょう。ですが、恐れる必要はまったくありません。なぜなら、わたしたちにはイエスがついているからです。さまざまな試練はやって来るでしょう。ですが、イエスの元に集まり、互いに愛し合い、助け合うなら、乗り越えられない試練はありません。イエスと共に、平和の道を歩んでゆくことができるように祈りましょう。

youtu.be