闇に輝く光
初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。この言は、初めに神と共にあった。万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。(ヨハネ1:1-5)
「光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった」とヨハネは言います。ここでいう光とは、幼子イエスのうちに輝く命の光、イエスと同じように神さまの愛の中から生まれてきた、わたしたち一人ひとりの中に輝く命の光のことだと考えていいでしょう。神の言葉のまま互いに愛し合って生きるとき、人間の命は限りない光を放つ。だが、人間の心には、その光を覆う暗闇が広がりやすい。ヨハネは、そのことを伝えたかったのでしょう。
フランシスコ教皇様の最新の回勅『きょうだいの皆さん』の第一章には、「閉ざされた世界を覆う黒い雲」というタイトルが付けられています。人間は互いに兄弟姉妹として愛し合い、助け合うことによってみんなで幸せになるように造られている。それにもかかわらず、現代の世界には様々なレベルで「自分さえよければいい」という考え方が広がっている。人間の本来の姿を歪め、互いに愛しあうときに生まれる命の輝きを消し去ってしまう利己心の黒雲が広がり、世界を闇が覆い始めているということです。隣人に心を閉し、愛に心を閉し、神さまに心を閉して闇に落ちてゆく世界に、いまこそキリストの光を輝かせるべきときだと、教皇様はこの回勅の中で訴えておられるように思います。
移民の排斥や自国中心主義が声高に叫ばれる中で、わたしたちの日常生活の中にも同じような闇が広がり始めているのを感じます。たとえば、子どもたちに隣人愛の大切さを教え、貧しい国の人たちへの募金を呼びかけても、お母さんから「うちだって貧乏なんだから、人のことまでかまっているゆとりはありません」と言われてしまう。そんなことが増えているようなのです。貧しい国の人たちの写真を見てかわいそうだと思い、「この人たちを助けてあげたい」と願う子どもたちのやさしい心、子どもたちの心に宿った愛の光が大人たちによって消されてしまうなら、それはとても残念なことです。
では、どうしたら命の光を守ることができるのでしょう。人間の心に宿った愛の光を、より大きく、強く輝かせることができるのでしょう。そのためには、互いに愛しあい、助けあうことこそが人間にとって最高の幸せであり、そのときにこそ人間の命はまばゆい光を放つ。この世界は、やさしさとぬくもりの光で包まれた天国に変わってゆくということを、わたしたちが身をもって示し、子どもたちに教えることだと思います。たとえば、マザー・テレサのお母さんは、ときどき何も入っていない空のバスケットを下げて買い物から帰ってくることがあったと言います。「帰って来る途中で、〇〇さんのお母さんと会った。何日も食べていなくてかわいそうだから、買った食べ物をみんな上げてきてしまった」というのです。そんなお母さんに育てられたマザーは、自分を犠牲にしても人を幸せにすることの喜びを、子どもの頃から身をもって知っていました。
マザーのお母さんがともしたこの小さな、小さな愛の光が、やがて全世界を覆うほどの大きな光に育っていったことを、わたしたちは知っています。わたしたち自身の心の中に愛の光を灯し、子どもたちの心に愛の光をともすことによって、この世界を覆う黒い雲に立ち向かってゆけるよう祈りましょう。
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