バイブル・エッセイ(948)一歩を踏み出す勇気

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一歩を踏み出す勇気

 ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。(マルコ1:14-20)

 

 洗礼者ヨハネが捕らえられた後、イエスは故郷のガリラヤに帰って宣教活動を開始しまた。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」という言葉は、その第一声です。「福音」とは、ついに待ちわびた「神の国」が実現するときが来た。その始まりとして、神の子キリストがこの地上に遣わされたということに他なりません。イエスが伝えた「福音」、すなわち喜びの知らせとは、悔い改めてイエスの言葉を受け入れるなら、すべての人がゆるされ、すべての人が「神の国」に迎え入れられるということなのです。

 シモン・ペトロその兄弟アンデレに、イエスは「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と語りかけました。これまでのことは一切問わない。悔い改めてイエスに従うなら、「人間をとる漁師」、すなわちイエスの弟子としてのまったく新しい人生を与えようというのです。これはペトロたちにとって大きな喜びの知らせだったに違いありません。「弱さや欠点をたくさん抱えた漁師である自分が、こんなに立派な人の弟子になれるなんて、こんなチャンスは二度とない」、ペトロたちはきっとそう思ったことでしょう。だからこそ、迷わず、すべてを捨ててイエスの後に従ったのです。

 ヨナの言葉を聞いて悔い改めたニネベの人々が、これまでの罪をすべてゆるされたことからもわかるように、神は悔い改め、ひれ伏して嘆願する人の罪をすべてゆるしてくださる方です。わたしたちは、何度でも、いつからでも人生をやり直すことができるのです。ところが、わたしたちはそのことがなかなか信じられません。「こんなわたしが、やり直せるはずがない。もう駄目だ」と勝手に決めつけて、頑なに福音を拒んでしまう。そんなことが起こりがちなのです。これまでに慣れ親しんだ生活を手放すのが怖い、ということもあるでしょう。すべてをゆるし、これまでよりずっとよいものを与えてくださる神さまの愛の深さを信じられないために、救いへの一歩を踏み出すことができずにいる人がとても多いのです

 これは本当にもったいないことだと思います。一歩を踏み出しさえすれば、「自分はもう駄目だ」などと思っていたことがまったく愚かに思えるほど素晴らしい人生、新しい人生が待っているのです。実際に一歩を踏み出し、神さまがどれほど豊かな恵みでわたしたちを満たし、支えてくださるかに気づけば、手放すのを怖がっていたのがばかばかしく思えてくるはずです。神の愛を信じ、一歩を踏み出す勇気。わたしたちに必要なのは、ただそれだけなのです。

 過去にこだわる必要はありません。わたしたちが生まれ変わったように人々に奉仕し始めれば、周りの人たちもいつまでも過去のことにこだわりはしないでしょう。「神の国」への憧れが心に生まれたなら、そのときにこそ「時は満ちた」のです。ペトロたちと共に「悔い改めて福音を信じる」ことができるよう、心を合わせてお祈りしましょう。

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