バイブル・エッセイ(949)愛の権威

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愛の権威

 イエスは、安息日に(カファルナウムの)会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。そのとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。」イエスの評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。(マルコ1:21-28)

 イエスが、「黙れ。この人から出て行け」と言うと、悪霊が言うことを聞いて男性から出ていった。人々は、「権威ある新しい教えだ」と言って驚いたとマルコは伝えています。なぜ悪霊は、イエスの言うことを素直に聞いたのでしょう。イエスに与えられた権威とは一体どのようなものだったのでしょうか。

 先日、幼稚園の子どもたちに『グッビオのおおかみ』という絵本を読み聞かせしました。アッシジのフランシスコが、グッビオという街に現れた凶暴な狼に言うことを聞かせ、街の人々と仲直りさせたというお話です。フランシスコは、一体どうやって狼に言うことを聞かせたのでしょう。武器で脅かしたのでしょうか、それとも棒で打って懲らしめたのでしょうか。どちらでもありません。フランシスコはなんと、素手で狼の前に立って十字を切り、「わたしは武器を持っていません。ただ、あなたと仲よくしたいのです」と話しかけただけなのです。不思議なことに、狼はそれですっかりおとなしくなってしまいました。「狼も、本当は人間と仲良くしたいに違いない。ただ、お腹が空いていたので気が立って人を襲ってしまっただけなのだ」ということに気づき、愛情深く受け入れようとするフランシスコの前に、狼はひれ伏さずにいられなかったのです。狼を従わせたフランシスコの権威は、愛の権威だと言っていいでしょう。

 悪霊を追い出したイエスの権威も、同じように愛の権威だと言っていいでしょう。イエスが厳しく悪霊をしかりつけたのは、一つには苦しんでいる男性を何とかして助けたいという愛情からでした。「悪霊を追い出していいところを見せてやろう」というような邪心はなく、ただひたすらに男性を救いたいと願うイエスの愛が、悪霊を従わせるほどの力を生んだと考えられます。そして、もう一つイエスの言葉に権威を与えたのは、悪霊に対する愛だったのではないかとわたしは想像しています。「人間を苦しめ、さらに罪を重ねることは悪霊にとってもよくない。悪霊がもしサタンであり、堕落した天使であるなら、人間を苦しめることは本当の願いではないはずだ」イエスは、そのように考えて悪霊を憐れまれたのではないでしょうか。聖書の他の箇所に、イエスが悪霊の願いを聞き入れて豚にのり移らせるという話がありますが、それも、これ以上人間を苦しませるべきでないという思いから出たものだったのかもしれません。

 『フランシスコとおおかみ』を読み聞かせたあと、幼稚園の子どもたちには、「幼稚園に狼はいないけれど、ちょっと怖いなと思うお友だちはいるかもしれません。そんな子がいたら、恐がらずに話しかけてみよう。その子だって、きっとみんなと仲よくしたいに決まってるんだから」と話しました。フランシスコの模範に倣い、すべてを包み込むイエスの愛で人々と接することができるように。そうすることで、家庭に、教会に、全世界に平和を実現してゆくことができるように、心を合わせて祈りましょう。

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