バイブル・エッセイ(1017)愛の実をつける

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愛の実をつける

 イエスは次のたとえを話された。「ある人がぶどう園にいちじくの木を植えておき、実を探しに来たが見つからなかった。そこで、園丁に言った。『もう三年もの間、このいちじくの木に実を探しに来ているのに、見つけたためしがない。だから切り倒せ。なぜ、土地をふさがせておくのか。』園丁は答えた。『御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます。そうすれば、来年は実がなるかもしれません。もしそれでもだめなら、切り倒してください。』」(ルカ13-6-9)

 実をつけないいちじくを切り倒そうとする主人を、園庭が「御主人様、今年もこのままにしておいてください。木の周りを掘って、肥やしをやってみます」といって思いとどまらせる場面が読まれました。ここでのいちじくはわたしたちのこと、園庭はイエスのことだと考えたらよいでしょう。イエスは、わたしたちが実をつけるまで忍耐強く待ってくださる方。わたしたちが実をつけられるよう、あらゆる助けの手を差し伸べてくださる方なのです。

 わたしたちが今つけるべき実、それは困難な情況に置かれた人々のために祈り、その人たちのために行動する愛の実だと言ってよいでしょう。神はモーセに、「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った」と告げ、人々を救い出すためにモーセを遣わしました。世界各地で、特にウクライナで戦火に追われ、助けを求めて叫んでいる人々の「声を聞き、その痛みを知った」神は、わたしたちが同じようにその人たちの「声を聞き、その痛みを知って」、その人たちを苦しみから救い出すことを望んでおられるのです。

 では、わたしたちはどんな実をつければよいのでしょう。戦火に追われて逃げ惑う人たちのために、わたしたちは何ができるのでしょう。何より大切なのは、祈ることだと思います。それは、当然のことでしょう。子どもを失って涙にくれる母親、爆撃におびえながら地下壕にうずくまる高齢者、道端に放置された犠牲者の遺体。報道を通してそのような状況を目にするとき、わたしたちは当然、その人たちのために祈らずにいられなくなるのです。すべては、この祈りから始まると言ってよいでしょう。

 深い祈りの中で、わたしたちの心の中で、愛が大きく育ってゆきます。「苦しんでいるその人たちのために、何かせずにいられない」という気持ちがどんどん大きくなり、わたしたちを行動に駆り立てていくのです。生活費を少し切り詰めて、難民支援のための募金をする。日本に避難してきた人たちを支援する。戦火の中にある人たちに、SNS、YouTubeなどを通して励ましのメッセージを送るなど、できることは色々あります。そのようにしてわたしたちは、神から与えられた使命を果たし、愛の実をつけることができるのです。

 テレビに映る戦争を見て、人間の愚かさや自分の無力さを思い知らされ、絶望的な気持になることもあるでしょう。しかし、あきらめている場合ではありません。なぜなら、現に今このときも、戦火の中で苦しんでいる人たちがいるからです。神さまは、その人たちの苦しみを決して忘れず、わたしたちを通してその人たちを助けたいと望んでおられます。神さまの望みのままに行動するために、まずは戦火の中で不安な日々を過ごす人々の苦しみを心に深く刻み、その人たちのために祈ることから始めたいと思います。祈りに突き動かされて、愛の実、平和の実をみのらせることができますように。

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