バイブル・エッセイ(1031)信仰の道

信仰の道

 わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。(ローマ5:1-5)

 「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」とパウロは言います。わたしたちの信仰の成長のプロセスを、見事に言い表した言葉だと思います。苦しみの中で、わたしたちの信仰は磨き上げられ、何があっても揺るがないほど堅固な信仰に育っていくのです。

 「苦難は忍耐を生む」とは、試練の中で、わたしたちは苦しみに耐える強さを身に着けるということでしょう。わたしは、イエズス会に入って最初に体験した、長束での修練を思い出します。修練に入ってすぐのころは、慣れない力仕事や草むしり、集団行動の苦しさに、耐えるのがなんとか精いっぱいでした。自分をこの道に導いてくださった神に信頼して、何とか苦しみを耐える。それが、信仰の第一段階だったといってよいでしょう。

 しばらくすると、苦しみに対する恐れが消え、落ち着きが生まれてきます。「どんなことがあっても、きっと何とかなる」という覚悟のようなものが生まれてくるのです。それが、「忍耐は練達を生む」という段階だと思います。まるで歴戦の兵士のように、どんな試練がやってきても、落ち着いて立ち向かい、乗り越えられるようになるのです。

 試練を乗り越える体験を繰り返すうちに、「試練の向こうには、これまでよりよいものが待っている」という確信が生まれてきます。落ち着いて試練を乗り越えるだけでなく、「この先に、何が待っているのだろう」と期待し、喜びさえ感じながら試練を乗り越えられるようになるのです。それが、「練達は希望を生む」ということだと思います。どんな試練がやって来たとしても、神さまはそれを乗り越える道を教えてくださるし、その試練を乗り越えた先には必ずこれまでよりよいものが待っている。いくつもの試練を乗り越える中で、わたしたちはそう確信できるようになるのです。

 では、試練を乗り越えるための力はどこから生まれるのでしょう。「希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです」とパウロは言います。聖霊によって絶えず注がれる神の愛こそが、試練を乗り越えていくための力になるのです。

 例えば、わたしはイエズス会の修練のあいだ、たびたび自然の美しさに励まされました。それは、聖霊がわたしの心の目を開き、自然を満たした神の愛に気づかせてくれたからでしょう。修練院の庭で、早朝の日課である体操をしているときに見上げた美しい朝焼け。日ごとに開花していく庭の桜の木。山肌を染めた新緑の美しさ。それらのものを見るたび感動に心が震え、「よし頑張ろう」と思えたのは、聖霊によってわたしの心が開かれ、わたしの心に神の愛が流れ込んだからに違いないのです。

 「父が持っておられるものはすべて、わたしのものである」とイエスがいう通り、わたしたちの心を満たす神の愛は、そのままイエスの愛でもあります。わたしたちが知っている神の愛は、すべてイエスを通してわたしたちに注がれるものなのです。こうしてわたしたちは、聖霊に目を開かれ、世界を満たしたキリストの愛、父なる神の愛に包まれて成長していきます。三位一体の愛の中で、信仰の道を力強く歩み続けることができるようお祈りしましょう。

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