バイブル・エッセイ(1040)分裂を越えて

分裂を越えて

「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである。その火が既に燃えていたらと、どんなに願っていることか。しかし、わたしには受けねばならない洗礼がある。それが終わるまで、わたしはどんなに苦しむことだろう。あなたがたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ。今から後、一つの家に五人いるならば、三人は二人と、二人は三人と対立して分かれるからである。父は子と、子は父と、母は娘と、娘は母と、しゅうとめは嫁と、嫁はしゅうとめと、対立して分かれる。」(ルカ12:49-53)

 キリスト教は平和を願う宗教のはずですが、今日の福音の中でイエスは「わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うのか。そうではない。言っておくが、むしろ分裂だ」と言っています。「互いに愛し合いなさい」といういつもの教えと、まったく逆のような話です。いったい、イエスは何を言い出したのでしょう。

 イエスはきっと、この言葉によって、平和を実現するのはそんなに簡単ではない。きれい事だけでは済まないということを伝えたかったのだろうと思います。現に、イエスの教えが伝えられたとき、家族のあいだには分裂が起こりました。妻がイエスの教えを信じたが、夫はそれを受け入れない。親が信じたが、子どもは信仰になど関心がない。ときには、「何でそんなもの信じるんだ」とか、「なぜあなたはわかってくれないの」などと喧嘩にさえなる。現代でもよくあるそのような分裂が、イエスが生きていた頃からもうあったはずなのです。

 しかし、それはイエスが平和を破壊するためにやって来たというわけではありません。分裂が生じ、家族のあいだに対立が生まれるということは、平和に向かう健全なプロセスの一部だと考えられるからです。新しい考え方、世間の一般的なものとは違う考え方が入って来たとき、まずは分裂が生まれます。新しい考え方を受け入れられる人と、受け入れられない人が現れ、その人たちの間に分裂が起こるのです。ある考え方を誰かに強制することができない以上、それはある意味で当然のことです。

 次に、両者のあいだでの話し合いが始まります。お互いに、なぜその新しい考え方を受け入れるのか、受け入れないのか、忌憚のない話し合いを行う中で、どちらかが正しく、どちらかが間違っていることがはっきりすれば、それで分裂は解消するでしょう。話し合いを通して互いの絆はより強められ、家族の平和はさらに安定したものになるに違いありません。

 どんなに話し合っても、話がかみ合わない場合もあるでしょう。しかし、あきらめる必要はありません。どんなに意見が合わなかったとしても、「愛する家族が、この信仰をこんなにも大切にしている」ということが相手に伝われば、「この信仰は気に入らないが、家族がそれを大切にしているということだけは尊重しよう」という態度が生まれてくる可能性があるからです。互いへの愛のために、あらゆる違いを越えて互いの思いを尊重するという態度が家族の中に生まれれば、その家族の平和は盤石といってもよいでしょう。

 イエスがやって来て愛の教えを説いたから、すぐに世界が平和になったというほど、世の中は単純ではありません。「分裂をもたらすために来た」という言葉で、イエスはその現実を語っておられたのです。ですから、分裂が起こっても恐れる必要はありません。むしろ、それはイエスのもたらす平和の第一歩なのです。忍耐強い話し合いと愛によって分裂を乗り越え、真の平和を実現していくことができるよう祈りましょう。

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