バイブル・エッセイ(1150)イエスと共に舟を漕ぐ

イエスと共に舟を漕ぐ

 その日の夕方になって、イエスは、「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。そこで、弟子たちは群衆を後に残し、イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになるほどであった。しかし、イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。イエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言われた。すると、風はやみ、すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」弟子たちは非常に恐れて、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。(マルコ4:35-41)

 イエスが突風を叱りつけて鎮め、弟子たちに向かって、「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか」と話しかける場面が読まれました。弟子たちは、なぜ突風を怖がったのでしょう。死ぬのが怖いということもあると思いますが、「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」という弟子たちの言葉からは、イエスの愛への疑いが感じられます。イエスが自分たちと同じ舟に乗り、自分たちと同じ危険に身をさらしているということを忘れ、弟子たちはイエスの愛を疑ってしまったのです。
 このようなことは、現代の教会でもよく起こります。たとえば、教会の高齢化が進み、信徒の数が減ってこのままでは教会が維持できない。教会が「沈んで」しまうということで、いまあちこちから不安の声が聞こえてきています。わたし自身、この状況について一定の危機感をもって臨むべきではないかと思っていますが、パニックに陥る必要はありません。なぜなら、この教会という舟にはイエスが一緒に乗っているからです。もし本当にわたしたちの命が危険にさらされるというなら、イエスが必ずわたしたちにふさわしい指示を出し、避難させてくださるでしょう。イエスがまだ安心して寝ているなら、それはまだ大丈夫だということです。落ち着いて現実に対処し、わたしたちにできる限りのことを精いっぱいにしていれば、どんな嵐も必ず乗り越えることができるのです。
 どんなときでも、いつもイエスが一緒にいてくださる。この舟が沈むことはない。それは、教会全体だけでなく、わたしたちの家庭や、わたしたち一人ひとりの人生にもあてはまることでしょう。病気や怪我、事故などで絶体絶命のピンチ。「もう駄目だ」と感じるときであっても、わたしたちの舟には、いつもイエスが一緒に乗っていてくださいます。そのことを忘れてパニックに陥り、絶望して何もしない。あるいは、自分のことを棚にあげて周りの人を厳しく責めるなど、するべきではないことをしてしまう。そうなると、助かるものも助かりません。自分で舟を漕ぐのを止め、舟を壊し始めるなら、その舟はもう沈むしかないでしょう。
 しかし、イエスがこの舟に一緒に乗っていると信じ、あわてることなく、風や荒波に負けないほど力強く舟を漕ぎ続けるなら、必ずこの舟は助かります。「大丈夫、きっとなんとかなる」と信じて最後まで希望を捨てず、自分が果たすべき使命を精いっぱいに果たし続けるなら、家族や仲間のために精いっぱい舟を漕ぎ続けるなら、舟は必ず岸辺にたどりつくのです。たどり着く岸辺は、もしかするとこれまで見たこともないような、まったく新しい岸辺かもしれません。しかし、そうであったとしても、イエスが一緒にいるなら何の心配もありません。その岸辺も、きっとやさしさやいたわりに満たされた、「約束の土地」であるに違いないのです。わたしたちの教会はいま、三教会の統合に向けた航海を続けています。それぞれが力いっぱい舟を漕ぐことで、イエスと一緒に新しい岸辺にたどりつくことができるよう、心を合わせて祈りましょう。

youtu.be

※バイブル・エッセイが本になりました。『あなたはわたしの愛する子~心にひびく聖書の言葉』(教文館刊)、全国のキリスト教書店で発売中。どうぞお役立てください。