バイブル・エッセイ(1163)サタンの罠

サタンの罠

 イエスは、弟子たちとフィリポ・カイサリア地方の方々の村にお出かけになった。その途中、弟子たちに、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか」と言われた。弟子たちは言った。「『洗礼者ヨハネだ』と言っています。ほかに、『エリヤだ』と言う人も、『預言者の一人だ』と言う人もいます。」そこでイエスがお尋ねになった。「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」ペトロが答えた。「あなたは、メシアです。」するとイエスは、御自分のことをだれにも話さないようにと弟子たちを戒められた。それからイエスは、人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日の後に復活することになっている、と弟子たちに教え始められた。しかも、そのことをはっきりとお話しになった。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。イエスは振り返って、弟子たちを見ながら、ペトロを叱って言われた。「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」(マルコ8:27-35)

 イエスの身を、さらにはイエスに従う自分たちの身を心配したのでしょう。ペトロが、イエスを脇へ連れ出し「いさめる」場面が読まれました。そんなペトロに向かって、イエスはきっぱりと答えます。「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救う」というのです。
 これは本当に深い人生の真理を伝える言葉だと思います。「自分の命を救いたい」と思わせ、そうすることによってわたしたちを滅ぼしてしまう。これはサタンが使う常套手段なのです。わたし自身、よくこのサタンの策略にひっかかりそうになることがあります。たとえば仕事がひっきりなしに続き、体も心も疲れ切っているとき、心の中にサタンが忍び込みます。「どうしてわたしが、こんなことをしなければならないんだ。こんなことをして、いったい何の意味があるんだ」という思いが、どこからともなく湧き上がってくるのです。この思いに屈服すると、次に出てくるのは、「バカバカしい。もうこんなことは止めて、自分のためだけに時間を使おう。自分のしたいことだけをしよう」という思いです。この思いに乗って、仕事をさぼり、権力欲や名誉欲など自分の欲望を満たすためだけに時間を使うようになったらどうなるでしょう。わたしは司祭職を首になり、破滅の一途をたどるに違いありません。
 これこそ、サタンが人間を滅ぼすために使う典型的な誘惑です。サタンは、「神さまのため、みんなのために生きてどうなる。自分の幸せを考えなさい」とわたしたちを説得します。「自分の幸せを考える」というのは、とても説得力のある言葉ですが、ここに罠が潜んでいることに気づかなければなりません。わたしたちの本当の幸せは、自分のためだけに生きることにはないのです。神さまのため、みんなのために生きるときにこそ、わたしたちは本当の意味で毎日を幸せに生きれるのです。「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救う」というイエスの言葉は、まさにこの真理を教える言葉です。イエスのため、福音宣教のために生きてこそ、わたしたちは幸せになれるのです。「自分の命を救いたい」とばかり考えている人は、自分の命を救おうとして、かえって自分の命を滅ぼしてしまうのです。
 ペトロはイエスに、「あなたは、メシアです」とも言っています。神のため、人々のために自分を捧げて生きる人、ただ愛のために生きる人こそ幸いであり、わたしたちの救いの道はそこにある。そのことを十字架に至るご自分の生涯のすべてを通してわたしたちに伝えたのがイエスであり、イエスはその意味でこそわたしたちの救い主、「メシア」なのです。イエスの生き方の中にこそ、わたしたちの本当の救い、本当の幸せがある。そのことをしっかりと心に刻み、サタンの誘惑を振り払うことができるよう。自分の十字架、自分に与えられた使命を担ってイエスの後についていけるよう、心を合わせて祈りましょう。

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