天地が滅びても
「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、人々は見る。そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。それと同じように、あなたがたは、これらのことが起こるのを見たら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。はっきり言っておく。これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存じである。」(マルコ13:24-32)
「太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる」ようなことが起こっても、決して心配する必要はない。そのときこそ、「人の子」、すなわちイエスがやって来て、永遠の救いが実現するときなのだとイエスは力強く語ります。天地が崩れ去るような出来事が起こるとき、これまで「あって当然」と思っていたものが、すべてなくなるようなときこそ救いのとき。「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」というのです。
この箇所を読んでいて、最近お会いした、ある神父様の話を思い出しました。かなり高齢の神父様で、目の病気を患っておられる方です。治療を受け、手術もしたけれど、なかなかよくならず、むしろだんだん視力が失われていくという状況の中で、神父様は、最初、とても不安と恐れを感じたそうです。まさに、「太陽は暗くなり」、足元は見えなくなり、歩くのも難しいという状況になってしまったからです。
打ちのめされるような不安と恐れの中で、神父様は「神さま、あなたにすべてをお委ねします」と懸命に祈り続けたそうです。すると、あるとき、不思議なことが起こりました。あれほどひどかった不安と恐れがふっと消え去り、自分が、大きな温もりに包まれているような感覚を味わったというのです。「目が見えなくなったことで、目には見えない神さまの愛を、これまで以上に感じられるようになったようだ」と神父様はおっしゃっていました。
これこそまさに、「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」ということでしょう。これまで「あって当然」と思ってすっかり頼り切っていたものがなくなり、天地が崩れ去るような思いがしたとしても、神さまの愛だけは決してなくならないのです。むしろ、目に見えるものに頼らなくなったときにこそ、神さまの愛は、よりはっきりと感じられるようになるのです。
歳を重ねることによって、視力だけでなく、いろいろな能力が衰えていきます。耳が遠くなることもあれば、足が弱って動けなくなることもあるでしょう。しかし、心配する必要はありません。耳が遠くなって周りの人たちの声が聞こえなくなるとき、わたしたちは、心の奥深くから語りかける神さまの声をよりはっきりと聞くことができるようになるからです。足が弱って動けなくなり、教会に行くことができなくなるとき、今度はイエス様が向こうからやって来て、わたしたちの心のドアを叩いてくださるからです。
これまで当たり前にできたことができなくなっていくのは、確かに不安で恐ろしいことですが、そんなときにこそ、今日の福音を味わいたいと思います。たとえ天地が滅びても、神さまの愛が滅びることはないし、むしろ、天地が滅びるときにこそ、目には見えない神さまの愛が、わたしたちの前にはっきり姿を現す。「天地は滅びるが、イエスの愛は決して滅びない」。そのことを、深く心に刻みましょう。
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