バイブル・エッセイ(1197)死に方は生き方

死に方は生き方

 イエスは、自ら十字架を背負い、いわゆる「されこうべの場所」、すなわちヘブライ語でゴルゴタという所へ向かわれた。そこで、彼らはイエスを十字架につけた。また、イエスと一緒にほかの二人をも、イエスを真ん中にして両側に、十字架につけた。ピラトは罪状書きを書いて、十字架の上に掛けた。それには、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」と書いてあった。イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がその罪状書きを読んだ。それは、ヘブライ語、ラテン語、ギリシア語で書かれていた。ユダヤ人の祭司長たちがピラトに、「『ユダヤ人の王』と書かず、『この男は「ユダヤ人の王」と自称した』と書いてください」と言った。しかし、ピラトは、「わたしが書いたものは、書いたままにしておけ」と答えた。兵士たちは、イエスを十字架につけてから、その服を取り、四つに分け、各自に一つずつ渡るようにした。下着も取ってみたが、それには縫い目がなく、上から下まで一枚織りであった。そこで、「これは裂かないで、だれのものになるか、くじ引きで決めよう」と話し合った。それは、「彼らはわたしの服を分け合い、わたしの衣服のことでくじを引いた」という聖書の言葉が実現するためであった。兵士たちはこのとおりにしたのである。イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。イエスは、母とそのそばにいる愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」と言われた。それから弟子に言われた。「見なさい。あなたの母です。」そのときから、この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った。この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。(ヨハネ19:17-30)

 イエスの死を思って祈る、聖金曜日の晩がやってきました。「死に方には、その人の生き方が表れる」と言いますが、イエスの死は、まさにイエスの生き方を凝縮したものだと言ってよいでしょう。イエスは、十字架上で肉体の苦しみ、霊の苦しみを共に味わいました。鞭打たれ、釘を刺されたぼろぼろの身体で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と大声で叫ばずにいられないほどの苦しみを味わったのです。しかし、イエスは、最後まで神への信頼を捨てることはありませんでした。苦しみの極みを体験したにもかかわらず、その中で、「成し遂げられた」と言って自分の魂を神の手に委ねたのです。
 ここに、イエスの生き様が表れています。「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ、多くの痛みを負い、病を知っている」とイザヤ書に書かれているように、イエスは生きているあいだ、さまざまな苦しみを味わいました。イエスが大工の子として生きた30年をわたしたちはよく知りませんが、父ヨセフとの死別など、さまざまな困難があったことは間違いありません。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫びたくなるような場面も、きっと何度かあったでしょう。しかしイエスは、決してあきらめませんでした。母マリアと共に、「お言葉通りになりますように」と自分の人生を神の手に委ねたのです。公の生活に入ってからは、まさに苦難の連続でした。律法学者やファリサイ派の人々から迫害され、枕するところもない生活を続けながら、イエスはそれでも決してあきらめることなく、神の手に自分のすべてを委ねたのです。
 イエスは最後に、「成し遂げられた」と言いました。それはきっと、「自分にできる限りのことはやった。あとのことは、神の手に委ねる」ということでしょう。「不完全なところ、足りないところもたくさんありましたが、わたしとしてはできる限りのことをやりました。あとは神さま、あなたの手にすべてを委ねます」、神を信頼してあらゆる試練を乗り越え、神を愛し、人々を愛して生きた人生の果てに、イエスはそのように祈ってこの世を去っていったのです。
 このようなイエスの生き方に、わたしたちも倣いたいと思います。「こんなに頑張っているのに、なぜこんなことになるんですか」「なぜわたしがこんな目にあわなければならないのですか」と神に叫んでもかまいません。神さまは、そのようなわたしたちの叫びを、涙を流しながら聞いていてくださいます。わたしたちの苦しみや悲しみを共に味わいながら、わたしたちを大きな愛で包み込んでくださるのです。その愛の中で、神の手に自分を委ねながら一日一日を生きていく。いつか最後の日がやって来たときには、「不完全なところ、足りないところもたくさんありましたが、わたしとしてはできる限りのことをやりました。あとは神さま、あなたの手にすべてを委ねます」、そう祈って死んでいく。そんな人生を送れればと思います。イエスの死と、その死に様に凝縮されたイエスの生き方を思い、わたしたちもその生き方に倣うことができるよう祈りましょう。

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