
キリストの平和
「わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない。心を騒がせるな。おびえるな。『わたしは去って行くが、また、あなたがたのところへ戻って来る』と言ったのをあなたがたは聞いた。わたしを愛しているなら、わたしが父のもとに行くのを喜んでくれるはずだ。父はわたしよりも偉大な方だからである。事が起こったときに、あなたがたが信じるようにと、今、その事の起こる前に話しておく。」(ヨハネ13:24-29)
「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える」とイエスが弟子たちに約束する場面が読まれました。ですが、この言葉に反して、世界の各地で戦争が起こり、わたしたち自身にも次々と困難が襲いかかってきます。どこに平和があるのでしょう。
「わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない」という言葉に注目すべきでしょう。イエスがわたしたちに残した平和は、争いや迫害がないという意味での平和ではなく、「たとえ何が起こっても、神さまがわたしたちを見捨てることはない。いつもわたしたちと共にいて、一番いい道を示してくださる」と固く信じることから生まれる心の安らぎ、心の平和なのです。人間が弱く、不完全なものである以上、この世界から争いや迫害がなくなることはないかもしれません。しかし、何も心配する必要はない。「わたしと父なる神が、いつもあなたと共にいる」とイエスは弟子たちに約束したのです。
気をつけなければならないのは、神さまがわたしたちのために示してくださる道は、いつもわたしたちが願った通りのものではないということです。神さまは、わたしたちにとって本当にいい道、わたしたちが幸せになれる道を知っておられ、それをわたしたちに示してくださいますが、その道は、ときにわたしたちが願っているのとはまったく別なもの、まったく思いがけないものの場合があるのです。
自分自身のことで言えば、わたしは若い頃、法律を勉強して弁護士になりたいと思っていました。「法律を使って貧しい人たちのために働き、社会に正義を実現しよう」というようなことを考えていたのです。ところが、大学3年生のときに父が病気で急死するという思いがけない出来事が起こりました。その出来事をきっかけとして、神さまはわたしをキリスト教の道に導き、さらにはインドのマザー・テレサのもとへと導き、ついにはイエズス会での修道司祭の道へと導いてくださったのです。父の死という試練を通して、まったく思いがけない道が開かれたと言わざるをえません。しかし、結果としてみると、神さまはわたしを一番よい道に導いてくださったと思います。なぜなら、いまわたしは、この山口の地で幸せな毎日を送っているからです。自分ではまったく想像もしていなかった道、その存在すら知らなかった道でしたが、神さまはきちんと、わたしが進むべき道を見極め、わたしに示してくださったのです。
「心を騒がせるな。おびえるな」とイエスは言います。心の平和、キリストの平和を守るために何より大切なのは、神さまの愛を信じて疑わないこと、心を騒がせないことなのです。神さまは、わたしたち以上にわたしたちのことを知り、わたしたちのために一番よい道をしめしてくださる。神さまがわたしたちを見捨てることは決してない。そう信じている限り、わたしたちの心から平和がなくなることはありません。キリストの平和を生き、キリストの平和を世界の隅々にまで広げていくことができるよう、心を合わせてお祈りしましょう。
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