バイブル・エッセイ(1205)強い風と炎の体験

強い風と炎の体験

「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。わたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。」(ヨハネ14:15-16、23b-26)

 父なる神が「弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」とイエスが約束する場面が読まれました。イエスが天に上げられた後、わたしたちに弁護者である聖霊が送られる。そのときわたしたちは、すべてのことを悟り、人々に力強く語るようになるだろうというのです。
 では、聖霊とは一体どんなものなのでしょう。使徒言行録は聖霊の降臨について、「激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった」と記しています。激しい風が吹き、炎が燃え上がる。聖霊が送られるとは、そんな体験だというのです。
 自分自身の体験を振り返ってみるとき、この記述には思い当たることがあります。わたしが初めて聖霊の働きをはっきり感じたのは、イエズス会に入るかどうか識別するために、長束で8日間の霊操をしていたときのことでした。「できることなら神父になりたい」という気持ちはあったものの、すべてを捨てて一歩踏み出すというところまではなかなかいかない。そんな状況で祈っていたあるときのこと、わたしの心に、「わたしはこれまで、自分のことをつまらない人間、神さまに愛される価値などない人間と思ってきたが、それはまったく間違っていた。神さまは、こんなわたしにさえ愛を注ぎ、わたしの心を愛で満たそうとしておられる」という思いが湧き上がってきたのです。心に強い風が吹き、間違った思い込みを吹き飛ばした。そのように表現してもいいかもしれません。
 次にわたしの心に湧き上がってきたのは、「神さまは、こんなに弱くて罪深い人間でさえ受け入れ、愛してくださる。この喜びを、みんなに伝えずにいられない」という熱い思いでした。まだこの愛を知らないまま自分を責めて苦しんでいる人がいるなら、その人に、「神さまはわたしたちを愛してくださっています。わたしもあなたも、かけがえのない大切な命、神さまの子どもなんですよ」、そう語りかけずにいられない。そんな気持ちになったのです。心に愛の炎が燃え上がり、宣教へと駆り立てた。そのように表現してもいいかもしれません。
 聖霊が降るとは、まさに強い風が吹き、心に炎が燃え上がるような体験。「自分なんて愛される価値がない」という思い込みが強い風によって吹き飛ばされ、「神さまは、こんなわたしでさえ愛してくださる。この愛のすばらしさを、誰かに伝えずにいられない」という思いが心に燃え上がる体験なのです。聖霊によってわたしたちは「アッバ、父よ」と叫ぶとパウロが書いていますが、「わたしは神さまから愛されている。わたしは神さまの子どもなのだ」と確信し、神さまに向かって「父よ」と叫ばずにいられなくなる。それが聖霊の体験なのです。
 聖霊降臨は、教会の誕生日と言われますが、神さまの愛に気づくとき、わたしたちは新しい命の力に満たされ、生まれ変わると言ってよいでしょう。神さまの愛に気づくたびに、教会は新しく生まれ変わり、新しい命の力に満たされるのです。祈りの中で自分がどれだけ神さまに愛されているかを思い起こし、燃え上がる聖霊の炎、愛の炎に導かれて宣教にでかけることができるよう祈りましょう。

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