バイブル・エッセイ(1206)必ず分かる時が来る

必ず分かる時が来る

 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」(ヨハネ16:12-15)

「真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」と、イエスは弟子たちに言いました。いまのあなたたちには、いくら言っても分からない。しかし、聖霊が来れば、すべての真理が解き明かされるだろうというのです。聖霊とは、いったい何なのでしょう。聖霊が来たとき、弟子たちはどんな真理を悟るのでしょう。
 イエスが伝えたかった真理、それは、神は、罪人か正しい人かを問わず、すべての人を愛している。すべての人が、かけがえのない神の子であり、神は、わたしたちが帰って来るのを待っているということです。すべての人が、それぞれに限りなく大切な存在なので、わたしたちは競い合う必要がないということも含まれるでしょう。
 ところが、弟子たちは、そのことを理解できませんでした。互いに「自分の方が優れている。わたしこそイエスの一番弟子だ」と言い合い、誰が一番偉いか、イエスに気に入られているかを競い合っていたのです。イエスは、その様子を見てなげかわしく思っていたかもしれませんが、弟子たちを見捨てることは決してありませんでした。「今は分からなくても、いつか分かる日がやって来る」と確信していたからです。
 実際、弟子たちは、イエスの十字架と復活を体験した後、すべてを悟ることができました。聖霊がくだって弟子たちの目を開き、神さまは弱い罪人に過ぎない自分たちでさえ愛してくださっていること。誰もが神さまの子どもであり、互いに競い合う必要などないことを分からせてくださったのです。聖霊とは、わたしたちの目を開く霊、真理に気づかせてくれる霊だと言ってよいでしょう。いまは分からなくても、必ず聖霊が来てわたしたちの目を開き、分からせてくださる時が来る。そこにわたしたちの希望があります。
 では、現代を生きるわたしたちに、聖霊はどのように働くのでしょう。わたし自身の体験でいうと、こんなことがありました。ある日、教会の花壇に咲く花を、ぼんやり眺めていたときのことです。わたしの目の前を、突然、小さな白い蝶が横切りました。その蝶が、花から花へと飛び回り、蜜を吸っているのを目で追いかけているうちに、わたしの心に感動が湧き上がってきました。「こんなに小さな蝶が、こんなにも力強く飛び回っている。命とは、なんと不思議なものなのだろう」という思いが、実感として、心の底から湧き上がってきたのです。「すべての生命が限りない価値を持っている」ということを、心の底から実感し、確信したと言ってもよいでしょう。頭で「理解する」のとはまったく違う、まさに「悟る」という言葉がぴったりの体験でした。この時まさに聖霊が働いたのだと、わたしは思っています。
 聖霊は、思いがけないときにやって来て、わたしたちにすべてを悟らせてくださいます。わたしたちの目を開き、生きていることは、それ自体が奇跡であること、すべての命が限りなく尊い存在であることに気づかせてくださるのです。互いに競い合う必要などないと気づかせてくださるのです。聖霊がやってきて、わたしたちの目を開き、すべての命の尊さに気づかせてくださるように。互いに愛し合い、助けあって生きることの幸せに気づかせてくださるように、心を合わせてお祈りしましょう。

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