バイブル・エッセイ(1207)奇跡は必ず起こる

奇跡は必ず起こる

 そのとき、イエスは群衆に神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。日が傾きかけたので、十二人はそばに来てイエスに言った。「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。わたしたちはこんな人里離れた所にいるのです。」しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」彼らは言った。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」というのは、男が五千人ほどいたからである。イエスは弟子たちに、「人々を五十人ぐらいずつ組にして座らせなさい」と言われた。弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。すると、イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで、それらのために賛美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二籠もあった。(ルカ9:11-17)

「キリストの聖体」を記念する今日のミサの中で、イエスがわずかなパンで五千人の人々を満腹させる物語が読まれました。感謝して神に捧げ、裂いて分かち合うことで多くの人々が満たされるという点で、この奇跡と御聖体には共通する部分があります。イエスはこの場面で、わずかしかないパンを裂いて人々の飢えを満たし、御聖体の秘跡では、たった一つしかない自分の体を裂いて人類の飢えを満たしたのです。
 この場面で弟子たちは、五つしかないパンを人々に分けるということを、思いつきもしませんでした。「こんなわずかなパンで、足りるわけがない」と思い込んでいたからです。しかし、イエスはそうは思いませんでした。たとえわずかなものでも、感謝して神に捧げ、人々と分かち合うなら、必ず奇跡が起こると確信していたのです。実際、イエスは、この場面で五千人の人々の飢えを満たしましたし、ご自分の体を裂くことで、現代にいたるまで何十億という人々の飢えを満たしています。「たった一人で、全人類を救うことなどできるわけがない」と、イエスは決して考えませんでした。たった一人の人生でも、感謝して神に捧げ、惜しみなく分かち合うならば、必ずそこに奇跡が起こる。イエスはそう確信していたのです。
 この確信、この信仰こそ、いまわたしたちに求められているものだと思います。高齢化や若者の教会離れが進んでるからと言って、あきらめる必要はないのです。たとえわずかなものでも、感謝して神に捧げ、惜しみなく分かち合うなら、必ず奇跡が起こるのです。
 わたしたちの身近には、その証拠になる人がいます。今週いよいよ99歳の誕生日を迎えるカンガス神父様です。カンガス神父様は、分かち合うために生まれてきた言ってもいいくらい、すべてのものを分ち合う方です。たとえば、このところ、誕生日が近いこともあってたくさんの方が神父様を訪ね、お土産をくださるのですが、神父様は、もらったお土産をそのまま全部、大きな袋に入れてカルメル会のシスターたちのところに持って行ってしまいます。厳しい生活の中で、めったにお菓子を食べられないシスターたちに、おいしいお菓子を食べさせてあげたい。そのことしか考えていないのです。
 お菓子だけではありません。カンガス神父様は、自分の時間、自分の生涯のすべてを惜しみなく差し出し、わたしたちと分かち合ってくださいます。起きている時間のほとんどすべてを、ミサや勉強会、勉強会の準備のために使ってくださるのです。「もったいないから自分の時間をとって置こう」というような気持ちは、まったく感じられません。むしろ、「せっかく時間があるのに、みんなと分かち合わなければもったいない」と思っておられるようなのです。その結果、これまでに何百人、何千人もの人々が心の飢えを満たされ、イエスと出会って救われました。これは、まさに奇跡と言ってよいでしょう。
 カンガス神父は、「こんな年寄りには、もう何もできない」と決して考えません。わたしたちもカンガス神父の模範にならいたいと思います。惜しみなく分ちあうなら、必ず奇跡が起こる。惜しみなく分ちあうわたしたちのあいだにイエスがおられ、奇跡を起こしてくださる。そう信じて、毎日を神様のため、人々のために差し出していきましょう。

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