バイブル・エッセイ(1211)本当に必要なこと

本当に必要なこと

 イエスはある村にお入りになった。すると、マルタという女が、イエスを家に迎え入れた。彼女にはマリアという姉妹がいた。マリアは主の足もとに座って、その話に聞き入っていた。マルタは、いろいろのもてなしのためせわしく立ち働いていたが、そばに近寄って言った。「主よ、わたしの姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください。」主はお答えになった。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカ10:38-42)

「姉妹はわたしだけにもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか」と食ってかかるマルタに、イエスが「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである」と答える場面が読まれました。マルタの指摘を受け、イエスが、「それもそうだ。マリア、あなたも手伝いなさい」とマリアに言うという展開になってもおかしくないのですが、なぜイエスは逆に、マルタを注意したのでしょうか。イエスが言う、「必要なこと」とは、いったい何なのでしょうか。
 「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している」というイエスの言葉に、注目する必要があると思います。マルタは最初、長旅で疲れ果て、お腹を空かせたイエスを放っておけない。足を洗い、食事をとって、ゆっくり休んでもらいたいという一心からもてなしを始めました。イエスへの愛から、もてなしを始めたと言ってよいでしょう。ところが、結果としてマルタは、その愛するイエスに食ってかかることになります。もてなしのために忙しく動いている途中で、マルタの心の中に、「あれもしなければならない。これもしなければならない」という焦りや、「わたしがこんなに働いているのになぜ妹は手伝わないんだ」という不満、「いつだってマリアはこうだ。わたしばかりが損をしている」というこれまでの恨みなどが湧き上がってきたのです。そのようなさまざまな思いに心をかき乱された結果、マルタは、初めにあったはずのイエスへの愛を見失い、あろうことか、最愛のイエスに向かって苦情を言うことになってしまったのです。イエスが、「あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している」と言ったのは、まさにその通りでした。マルタは、後から湧き上がって来た多くの思いに心をかき乱され、ただ一つ「必要なこと」であるイエスへの愛を忘れてしまったのです。
 このようなことは、わたしたちの日々の生活の中でもよくあると思います。たとえば、わたしたち神父は、神さまのため、また苦しんでいる人々へのために、これまでの生活を捨てて奉仕の生活に入りました。初めに愛があったのは間違いがないと思います。ところが、実際に奉仕を始め、日々忙しく働いていると、いつの間にか初めの愛を忘れていることがあります。「神さま、なぜわたしがあれもこれも、みんなやらなきゃいけないのですか。他の人にも手伝わせてください」と神さまに苦情を言ったり、信徒たちに向かって、「どうしてわたしが、こんなことまでしなきゃいけないんだ」と文句を言ったり、初めの愛とはまったく逆のことをしてしまうことがあるのです。
 神父だけでなく、皆さんにも、子育てや介護、職場など、さまざまな場面で、きっと同じことがありうるでしょう。そのように「多くのことに思い悩み、心を乱している」わたしたちに向かって、イエスは、「必要なことはただ一つだけである」と呼びかけています。必要なことはただ一つ、わたしたちの心に初めにあった、神さまへの愛、子どもたちへの愛、家族への愛、苦しんでいる人々への愛なのです。イエスの声に耳を傾け、最初の愛に立ち返ることができるように、まっすぐな心で、喜んで奉仕を続けられるように、心を合わせて祈りましょう。

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