バイブル・エッセイ(1213)最高の宝物

最高の宝物

 群衆の一人が言った。「先生、わたしにも遺産を分けてくれるように兄弟に言ってください。」イエスはその人に言われた。「だれがわたしを、あなたがたの裁判官や調停人に任命したのか。」そして、一同に言われた。「どんな貪欲にも注意を払い、用心しなさい。有り余るほど物を持っていても、人の命は財産によってどうすることもできないからである。」それから、イエスはたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作だった。金持ちは、『どうしよう。作物をしまっておく場所がない』と思い巡らしたが、やがて言った。『こうしよう。倉を壊して、もっと大きいのを建て、そこに穀物や財産をみなしまい、こう自分に言ってやるのだ。「さあ、これから先何年も生きて行くだけの蓄えができたぞ。ひと休みして、食べたり飲んだりして楽しめ」と。』しかし神は、『愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか』と言われた。自分のために富を積んでも、神の前に豊かにならない者はこのとおりだ。」(ルカ12:13-21)

 作物を倉に蓄え、これから楽をしようと思っている金持ちを見て、神が、「愚かな者よ、今夜、お前の命は取り上げられる。お前が用意した物は、いったいだれのものになるのか」とつぶやく場面が読まれました。「死者が着る服にポケットはない」ということわざをフランシスコ教皇がよく引用していましたが、どんなにたくさんの物を持っていたとしても、死ぬときには、天国に持って行けないということです。そうだとしたら、わたしたちは一体どうしたらよいのでしょう。
 倉に蓄えられた物を天国に持って行くことはできませんが、たった一つだけ持って行けるものがあります。それは、倉ではなく、わたしたちの心に蓄えられた愛です。「家族や友人が、わたしのことを本当に大切にしてくれた」、「何があっても自分を見捨てない、生涯の伴侶と巡り合うことができた」といった愛の思い出だけは、そのまま天国に持って行くことができるのです。もし、愛してくれた人の名前を思い出せなくなっていたり、なにがあったか忘れたりしていても、心配する必要はありません。そのときに感じた愛のぬくもりだけは、わたしたちの心の奥深くに残っているからです。わたしたちの心に蓄えられた愛は、いつまでも消えることがありません。わたしたちは、そのすべての愛を持って、天国に旅立つことができるのです。
 わたしたちにとって一番大切な、人生の宝物。それは、愛だと言ってよいでしょう。誰かから愛され、誰かを愛したという記憶は、思い出すたびにわたしたちを励まし、生きる力を与えてくれるからです。わたしたちが思い出さないときでも、昔、おじいちゃんやおばあちゃん、親しい人たちがわたしたちの心に注いでくれた愛は、「わたしは愛されている。わたしの人生には価値がある」という自信となって、わたしたちの人生の日々を支えていてくれます。「こんなわたしを、誰かが愛してくれた。こんなわたしでも、誰かを愛することができた」、その思い出こそ、わたしたちが生きていくのになくてはならないもの。限りない価値を持った、人生で最高の宝物なのです。
 その最高の宝物を天国に持って行くことができる。これは本当にすばらしいことだと思います。どんなに高級な品物や、地位や名誉、権力といったこの世の宝も、この宝物に比べたらとるに足りないと言ってよいでしょう。コヘレトは、死によってすべてが奪われるのだから、「すべては空しい」、人生に意味はないと言って嘆きますが、そんな風に考える必要はありません。他のすべてを死によって奪われたとしても、わたしたちには、人生で一番大切な宝物である愛が残るからです。
 愛という最高の宝物を蓄えることを人生の目的にしていれば、何も心配する必要はありません。いつ死がやって来たとしても、心を満たした愛のぬくもりに包まれ、「本当にすばらしい人生だった」と言ってこの世を去ることができるでしょう。今日のこの聖書の箇所を心にしっかり刻み付け、「どれだけたくさんのものを手に入れるか」ではなく、「どれだけ与えられるか、どれだけ愛せるか」を考えて、これからの日々を生きていきましょう。

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