バイブル・エッセイ(1227)喜びの水

喜びの水

 ユダヤ人の過越祭が近づいたので、イエスはエルサレムへ上って行かれた。そして、神殿の境内で牛や羊や鳩を売っている者たちと、座って両替をしている者たちを御覧になった。イエスは縄で鞭を作り、羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒し、鳩を売る者たちに言われた。「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」弟子たちは、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽くす」と書いてあるのを思い出した。ユダヤ人たちはイエスに、「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか」と言った。イエスは答えて言われた。「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」それでユダヤ人たちは、「この神殿は建てるのに四十六年もかかったのに、あなたは三日で建て直すのか」と言った。イエスの言われる神殿とは、御自分の体のことだったのである。イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。(ヨハネ2:13-22)

 神殿から商人たちを追い払ったイエスが、腹を立てている人たちに向かって、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる」と言う場面が読まれました。イエスが言っている神殿とは、ご自分の体のことに他なりません。わたしたち人間は、誰もが心の奥深くに神さまを宿した「神殿」なのです。
 エゼキエル書では、神殿から水が流れ出して川となり、「この川が流れる所では、すべてのものが生き返る」と書かれています。わたしたち一人ひとりが神殿であるなら、わたしたちからも川が流れ出る。心を満たした神さまの愛が、わたしたちから川となって流れ出すと考えていいでしょう。ちょうどそんな場面を見たことがあります。
 いまから15年ほど前、フィリピンのマニラで、イエズス会の第三修練という養成プログラムを受けいてた頃、わたしはよく、マニラのスラム街で働くマザー・テレサのシスターたちの手伝いに行きました。シスターたちがスラム街を周って歩くとき、一緒について行って、貧しい人たちに御聖体を配ったり、祝福を与えたりするのです。そのとき、わたしは不思議な光景を目にしました。シスターたちが行くところでは、どこでも人々の顔にパッと明るい笑顔が浮かぶのです。
 皆さんは実際のスラム街に行ったことがないかもしれませんが、スラム街の雰囲気は、必ずしも明るいものではありません。廃墟となった大型の倉庫群に、何千人もの人たちが暮らしていたり、ゴミの山の隣にたくさんの小屋が建ち並び、悪臭が漂う中で多くの人たちが暮らしていたりするのです。生活に必死で、ゆとりのない表情の人たちもたくさん見かけます。そのような人たちの表情が、青い三本線の入ったサリーを着たシスターたちの姿を見た瞬間に、パッと明るく輝き始めるのです。シスターたちの心から、神さまの愛が川となって流れ出し、人々の心を潤していく。「この川が流れるところでは、すべてのものが生き返る」。まさにそんな様子でした。
 マザー・テレサはよく「イエスを愛する喜びを、いつも心に持っていなさい。そして、その喜びを、出会うすべての人と分かち合いなさい」と言っていました。わたしたちが心の奥深くに宿った神さまと絶えず交わり、神さまから愛される喜びで満たされているなら、その喜びは自然に周りの人たちに伝わっていく。それこそが、神の愛を人々に伝えることであり、福音宣教そのものなのだとマザーは考えていたのです。
 イエスやマザー・テレサ、シスターたちだけでなく、わたしたちは誰もが、神さまを心の奥深くに宿した神殿です。もしそこから喜びの川が流れ出していないなら、それは、疑いや不安、執着や憎しみなど、何か余計なものが入って流れを邪魔しているからに他なりません。イエスの言葉によって、心の流れを清めていただくことができるように、絶えず川のように流れ出す喜びによって、人々に福音を伝えることができるように、心を合わせてお祈りしましょう。

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