バイブル・エッセイ(1243)天の国への道

天の国ヘの道

 言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない。あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。」「あなたがたも聞いているとおり、『姦淫するな』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである。」「また、あなたがたも聞いているとおり、昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。主に対して誓ったことは、必ず果たせ』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。一切誓いを立ててはならない。」「あなたがたは、『然り、然り』『否、否』と言いなさい。それ以上のことは、悪い者から出るのである。」(マタイ5:17-37)

 イエスが弟子たちに、「あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、決して天の国に入ることができない」と言う場面が読まれました。「義」というのは、「神の前に、神の子として立つにふさわしい」ということですから、律法学者やファリサイ派の人々より、さらに神の子としてふさわしい者にならなければ、「天の国に入ることはできない」とイエスは言っているのです。
 「義」とされ、神の子として天国に入るための第一の条件としてイエスが挙げたのは、「兄弟に対して腹を立ててはいけない」ということでした。人を殺してはいけないのは当然ですが、それだけではなく、兄弟姉妹であるすべての人々に対して腹を立ててもいけないというのです。もちろん、人間である以上、まったく腹を立てずに生きることはできないでしょう。イエスが言いたいのは、腹を立てたままの状態では天国に入れない。反省して相手と和解しなさいということだと思います。
 では、なぜ腹を立ててはいけないのでしょう。それは、誰かに腹を立てるとき、わたしたちが心の中で相手を「愚か者」だと決めつけているからです。誰かに腹を立てるとき、「あのばかは何もわかっていない」と思って相手を裁いていることが多いのです。それは、裏を返せば、「自分は正しい」と思い込んでいるということに他なりません。誰かに腹を立てるとき、わたしたちは「自分は正しい、相手は愚かだ」と決めつけているのです。
 これは、神の前に立つ一人の人間として正しい態度とは言えないでしょう。神の前に立ったとき、わたしたちは誰でも、それぞれに弱さや欠点を抱えた不完全な人間に過ぎないのです。自分は絶対に正しい、相手が絶対に間違っているなどと言える人間、相手を裁くことができるほど正しい人間など一人もいません。「自分としてはこう思うが、それが絶対に正しいともいえない」と気づき、相手の話に耳を傾ける人。正しい答えを知っておられるのは神さまだけだということに気づき、相手と一緒に神さまのみ旨にかなった答えを探し求める人。そのような人こそ、神の前に立つのにふさわしい「神の子」なのです。
 「兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる」とイエスは言います。「火の地獄」というのは、互いに自分だけが正しいと思い込み、相手に対して激しい怒りと憎しみの炎を燃え上がらせる世界。互いに傷つけあい、共に滅びていく世界のことでしょう。自分だけが正しいと思い込んでいる限り、わたしたちはこの地獄への道を自分で選ぶことになるのです。
 天の国に入りたいなら、自分自身で天の国への道を選ぶ必要があります。誰かに腹が立ったときには、心をいったん静かにして、「これは果たして天の国への道なのだろうか」と、自分に問い直すのがよいでしょう。「自分が正しいとは限らないし、相手が愚かとも限らない。神さまの前では、お互いに不完全な人間に過ぎない。」そのことをいつも忘れず、謙虚な心で互いに助け合いながら進んでいく道、天の国への道を選ぶことができるよう、心を合わせてお祈りしましょう。

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