バイブル・エッセイ(1257)神さまの愛を証しする

神さまの愛を証しする

「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである。わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがたのところに戻って来る。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることになる。かの日には、わたしが父の内におり、あなたがたがわたしの内におり、わたしもあなたがたの内にいることが、あなたがたに分かる。わたしの掟を受け入れ、それを守る人は、わたしを愛する者である。わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」(ヨハネ14:15-21)

 イエスが弟子たちに、「父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる」と語りかける場面が読まれました。自分が去っても、弁護者である聖霊がやってきて、すべての真理を証してくれるから何も心配する必要がないというのです。聖霊による弁護、真理の証しとはいったいどんなことなのでしょう。
 マザー・テレサから、貧しい人たちの最期を看取るための施設「死を待つ人の家」を始めたときの話を聞いたことがあります。施設は当初、近隣の住民から猛反対を受けました。貧しい人への奉仕といっても、結局、キリスト教への改宗が目的だろうという疑いがあったからです。あるとき反対派の人々がマザーを追い出すために警察の署長を連れてきました。マザーはその署長に、「いつでも出てきます。ですが、まずわたしたちがここで何をしているかを見てからにしてください」と言ったそうです。署長はしばらく施設の中を黙って見て回った後、外に出て反対派の人々に言いました。「マザーを追い出してもいいが、その代わりあなたたちの母親や姉妹を連れてきてこの仕事をやらせてください」。すると、人々は三々五々に散ってしまい、もう誰も反対する人はいなくなったそうです。
 署長はおそらく、マザーやシスターたちが貧しい人々を献身的に介護する様子を目の当たりにして、そこにキリスト教への改宗といった下心をまったく見つけることができなかったのでしょう。署長がそこに見たのは、貧しい人々を放っておくことが出来ないという、マザーやシスターたちの愛だけだったのです。仮に口で、「わたしたちには下心などありません」と言ったところで、署長は信じなかったでしょう。しかし、マザーやシスターたちの活動を実際に見て納得し、信じたのです。
 これが、聖霊による弁護だと思います。わたしたちが自分をすっかり神さまに明け渡すとき、聖霊が下ります。聖霊はわたしたちの心を隅々まで愛で満たし、わたしたちを愛の行いへと駆り立てます。私利私欲のないその行いは、見る人たちに神さまの愛の素晴らしさを証しし、イエス・キリストの教えが真理であることを納得させるのです。もちろん、愛に駆り立てられて語る言葉も役に立つでしょう。しかし、そういった言葉も含めて、聖霊に満たされたわたしたちの存在そのものが、神さまの愛を証しし、人々に真理を悟らせるのです。
 どんなに立派な行いや言葉も、それが人間の心から生まれたものである限り、神さまの愛を証しすることはできません。人間の思いをすべて神さまに明け渡し、聖霊に満たされて行動するときにだけ、わたしたちの行動は神さまの愛を証しするのです。いまほどこのような証が求められている時代はないでしょう。多くの人々が、愛を信じたいけれど、信じられない苦しみを味わっているのです。聖霊、いまこそ来てくださいと、心を合わせてお祈りしましょう。

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