マザー・テレサの言葉を読む(21)M.C.の心と魂


貧しい人々の内に隠されたイエスの心の渇き、M.C.の心と魂はこれだけです。わたしたちのただ中で生きているイエスの渇きをいやすことが、会の唯一の存在目的です。
 イエスは十字架上で、肉体の苦しみだけでなく人々から見捨てられる孤独の苦しみ、人々から蔑まれ見下される苦しみ、そして神からさえ見捨てられたと感じる苦しみを味わいました。イエスが十字架上で味わったこれらの苦しみを今まさに同じように苦しんでいる人たちがいます。それは道端で寝ている人々、病気で苦しんでいる人々、差別され社会の片隅に追いやられた人々など、すべての「貧しい人々」です。
 イエスは人間の愛に渇いていましたが、「貧しい人々」も同じように人間の愛に渇いています。誰かに振り向いて欲しい、自分の存在を認めて欲しいと彼らは心の底から願っているのです。愛に渇いている彼らの中に、マザーはイエスの渇きを見出しました。そして、彼らの渇きをいやすため、彼らの中におられるイエスの渇きをいやすために「神の愛の宣教者会」(Missionaries of Charity。通称M.C.)を設立したのです。
 ですから、M.C.のすべては人々の心の渇きに向けられています。人々の心の渇きに共感し、その苦しみの中にイエスを見出すこと、そしてその渇きを癒すことだけがM.C.の「唯一の存在目的」なのです。
 実は、イエスはわたしたち自身の中でも渇いています。わたしたちが人からも神からも見捨てられたと思い込み、愛を求めて苦しむとき、イエスはわたしたちの中でも渇いておられるのです。そんなとき、実はわたしたち自身も愛に渇いた「貧しい人々」の1人なのです。神の愛を信じ、まずわたしたち自身の中におられるイエスの渇きを癒すことから始めなければなりません。祈りの中で十分に恵みの水を飲み、神の愛に満たされたときにだけ、わたしたちは他の人たちの中におられるイエスの渇きを癒すことができるでしょう。
 人々の中で、わたしたち自身の中で、イエスは今も愛に渇いておられます。その渇きを癒すことだけがわたしたちの生きる目的だと、わたしたちは自信を持って言えるでしょうか。