2023-01-01から1年間の記事一覧

こころの道しるべ(168)自分との関係

自分との関係 自分を嫌い、責め続けていれば、自分だけと一緒に過ごす時間、一人でいる時間は耐え難いものになるでしょう。対人関係はまず自分自身との関係を作ることから。思った通りに生きられない自分を受け入れ、愛することができますように。 『やさし…

バイブル・エッセイ(1087)愛の言葉

愛の言葉 五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、…

【キリスト教書店大賞2023】

キリスト教書店大賞2023 日本中のキリスト教書店の店員さんたちが、いま一番読んで欲しい本を選ぶ「キリスト教書店大賞」、今年もノミネート作品が発表されました。各地の書店で、ノミネート作品を中心としたフェアも開催中。この機会にぜひ、昨年出版された…

こころの道しるべ(167)限界を知る

限界を知る 「そんなことくらい一人でもできる」というのは本当かもしれません。ですが、手伝ってもらえば、もっとよくできるかもしれません。自分の限界を知っている人、素直に手伝ってもらえる人が、結果として一番大きな実りをもたらすのです。 『やさし…

【2冊同時重版 御礼】

2冊同時重版 御礼 この度、『世界で一番たいせつなあなたへ~マザー・テレサからの贈り物』(2015年刊、PHP研究所)の第16版、『何を信じて生きるのか』(2022年刊、PHP研究所)の第2版が同時に決定いたしました。皆さまの応援に、心より感謝いたします。これか…

バイブル・エッセイ(1086)永遠の響き

永遠の響き 十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って…

こころの道しるべ(166)本当の強さ

本当の強さ 「恥ずかしい」とか「逆に怒られたらどうしよう」「面倒に巻き込まれたら困る」そんな気持ちに打ち勝って、助けの手を差し伸べられる人こそ、本当に強い人。本当の強さとは、自分の弱さに勝って、相手にやさしくするための力なのです。 『やさし…

バイブル・エッセイ(1085)聖霊によって生きる

聖霊によって生きる 「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうとも…

【横田南嶺老師との対談】

横田南嶺老師との対談 PHP研究所の企画で、臨済宗円覚寺派管長の横田南嶺老師と対談させて頂きました。テーマは「愛と慈悲をめぐって」。対談の様子は、6回に分けてYouTubeにアップされておりますので、以下のリンクからぜひご覧ください。 対談は、2023年2…

こころの道しるべ(165)愛を育てる

愛を育てる 愛するとは、相手のすべてを、あるがままに受け入れるということ。初めから相手のすべてを知り尽すことはできないので、わたしたちは一生かけて少しずつ相手を知り、愛を育ててゆくことになります。愛するとは、愛を育ててゆくという決意なのです…

バイブル・エッセイ(1084)生きた石

生きた石 「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あ…

こころの道しるべ(164)憎しみの絆

憎しみの絆 愛には人を結びつける力がありますが、憎しみにも同じように人を結びつける力があります。誰かを憎むと、愛する人のことで頭が一杯になるのと同じように、憎い人のことで頭が一杯になってしまうのです。憎しみが結ぶ絆に気をつけましょう。 『や…

【講演会in神戸】『日々を生きる力』

【講演会in神戸】 『日々を生きる力~あなたを励ます聖書の言葉』 日時 2023年6月10日(土) 13:30 開場 14:00~15:30 講演会 場所 カトリック神戸中央教会主聖堂参加無料、事前予約不要 短い聖書の言葉にわかりやすい解説をつけ、366日分まとめた片柳神父の…

バイブル・エッセイ(1083)盗人の声と羊飼いの声

盗人の声と羊飼いの声 「はっきり言っておく。羊の囲いに入るのに、門を通らないでほかの所を乗り越えて来る者は、盗人であり、強盗である。門から入る者が羊飼いである。門番は羊飼いには門を開き、羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連…

こころの道しるべ(163)自分の幸せ

自分の幸せ 幸せそうな人の真似をしても、それで幸せになれるとは限りません。大切なのは、その人にはその人にふさわしいものがあり、自分には自分にふさわしいものがあると気づくこと。他人は気にせず、自分にとって本当に必要なものを見つけましょう。 『…

バイブル・エッセイ(1082)心を開く

心を開く この日、(すなわち週の初めの日、)二人の弟子が、エルサレムから六十スタディオン離れたエマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始めら…

こころの道しるべ(162)成長の証

成長の証 成長とは、これまで見えていなかったものが、見えるようになるということ。理不尽に思える苦しみでさえ、乗り越えたとき、「あの苦しみにも、確かに意味があった」と思えるようになるのは、苦しみの中で成長したからなのです。 『やさしさの贈り物…

バイブル・エッセイ(1081)信じるために

信じるために その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子…

バイブル・エッセイ(1080)復活の意味

復活の意味 週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。「主が…

バイブル・エッセイ(1079)ガリラヤへ

ガリラヤへ さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアともう一人のマリアが、墓を見に行った。すると、大きな地震が起こった。主の天使が天から降って近寄り、石をわきへ転がし、その上に座ったのである。その姿は稲妻のように輝き…

バイブル・エッセイ(1078)見よ、キリストの十字架

見よ、キリストの十字架 ピラトはもう一度官邸に入り、イエスを呼び出して、「お前がユダヤ人の王なのか」と言った。イエスはお答えになった。「あなたは自分の考えで、そう言うのですか。それとも、ほかの者がわたしについて、あなたにそう言ったのですか。…

バイブル・エッセイ(1077)イエスの模範

イエスの模範 過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせ…

こころの道しるべ(161)幸せになる力

幸せになる力 幸せな人とは、見つける力、驚く力、感動を人と分かち合う力、与えられた恵みに感謝する力を持っている人のこと。特別なものは必要ありません。誰にでもあるそれらの力を磨くだけで、わたしたちは幸せになれるのです。 『やさしさの贈り物~日…

バイブル・エッセイ(1076)苦しみの絆

苦しみの絆 昼の十二時に、全地は暗くなり、それが三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。そこに居合わせた人々のうち…

バイブル・エッセイ(1075)イエスの憤り

イエスの憤り (そのとき、ラザロの)姉妹たちはイエスのもとに人をやって、「主よ、あなたの愛しておられる者が病気なのです」と言わせた。イエスは、それを聞いて言われた。「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによっ…

こころの道しるべ(160)自分らしく

自分らしく のびのびと自分らしく成長できるのは、競争しなくてもよいと知っている人。「自分には自分のよさがあり、相手には相手のよさがある。競いあう理由など何もない」その確信が、自分らしい成長を可能にするのです。 『やさしさの贈り物~日々に寄り…

バイブル・エッセイ(1074)愛に目を開く

愛に目を開く イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、「シロアム――『遣わされた者』という意味――の池に行って洗いなさい」と言われた。そこで、彼は行っ…

心の道しるべ(159)幸せに気づく

幸せに気づく 花に感動する心を持つ人は、公園で美しい花と出会ったら、心を震わせ、その日を特別な日と思うでしょう。花に興味がない人は、同じ花を見ても気づかず、「今日もつまらない日だった」と言うかもしれません。幸せとは、そのようなものです。 『…

バイブル・エッセイ(1073)喜びの泉

喜びの泉 そのとき、イエスは、ヤコブがその子ヨセフに与えた土地の近くにある、シカルというサマリアの町に来られた。そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅に疲れて、そのまま井戸のそばに座っておられた。正午ごろのことである。サマリアの女が水をく…

こころの道しるべ(158)当然のように

当然のように 人からしてもらったことは決して忘れず、他の誰かが困っていれば自分も同じように助けの手を差し伸べる。人にしてあげたことはすぐに忘れ、相手が感謝してくれなくても決して責めない。それを、当然と思える人になれますように。 『やさしさの…